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エリシオ : ウィキペディア日本語版
エリシオ

エリシオ(''Helissio''、1993年 - 2013年)とはフランス競走馬および種牡馬である。第75回凱旋門賞サンクルー大賞連覇などG1を5勝。1996年ジャパンカップにも参戦した。1996年カルティエ賞年度代表馬、最優秀3歳馬、最優秀3歳牡馬。
== 戦績 ==
1996年3月のデビュー戦で10馬身差で勝利、続くノアイユ賞も勝利したことで一躍クラシック戦線へと踊り出た。次走リュパン賞も制し、3連勝でG1を勝利した。ジョッケクルブ賞(フランスダービー)では1番人気を集めたが、ラグマーの5着と惨敗、この敗戦で主戦騎手だったドミニク・ブフは降ろされ、次走からはオリビエ・ペリエが手綱を取ることになった。サンクルー大賞では古馬初対戦ながらも強豪スウェインを相手に逃げ切り、9月のニエル賞も制して臨んだ凱旋門賞では1番人気に支持されると2着ピルサドスキーに5馬身差をつけて優勝した。ペリエがゴールよりも遥か手前でガッツポーズを始めるほどの楽勝だった。この着差は凱旋門賞においてリボーシーバードがつけた6馬身差に次いで大きな着差であった。その後日本に遠征しジャパンカップに参戦したがシングスピールファビラスラフインに交わされストラテジックチョイスとの3着同着〔ジャパンカップにおける凱旋門賞馬の最高着順である。〕に敗れた。この年の活躍が評価され、カルティエ賞年度代表馬、最優秀3歳牡馬、最優秀3歳馬に選出され、インターナショナル・クラシフィケーションではシガーの135ポンドに次ぐ134ポンドが与えられた。
翌年1997年にはドバイワールドカップへと参戦する予定だったが、集中豪雨でレースが延期になったことにより出走を取り消した。その後はガネー賞、サンクルー大賞(連覇)とG1を連勝し、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへ駒を進めた。この競走はエリシオの他にもピルサドスキーシングスピールスウェインといった有力馬が集まり "The Race of the Decade" と称されるハイレベルなレースとなった。ここでもエリシオは1番人気に支持されたが、結果はスウェインとピルサドスキーに続く3着であった。その後、距離の壁を越えてマイル戦ムーラン・ド・ロンシャン賞にも挑戦し、仏2000ギニー馬のデイラミに先着して当時の世界最強マイラーであるスピニングワールドの2着に入った。連覇を狙った凱旋門賞では勝ったパントレセレブルから7馬身差の6着に敗れ、このレースを最後に引退、種牡馬となった。
凱旋門賞でペリエは大逃げという戦法を選んだが、ペリエは後のインタビューでこの戦法について「日本で騎乗していなかったら、このような大胆な戦法をとることはできなかった」と語っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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