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エリナー・オブ・ウッドストック : ウィキペディア日本語版
エリナー・オブ・ウッドストック
エリナー・オブ・ウッドストックEleanor of Woodstock, 1318年6月18日 - 1355年4月22日)は、イングランドエドワード2世と王妃イザベラ・オブ・フランスの長女。ゲルデルン(ヘルレ)公レイナルト2世の2番目の妻となった。
オックスフォードシャーウッドストック宮殿で生まれた。洗礼名は父方の祖母エリナー・オブ・カスティルに因む。1324年、母イザベラが渡仏するのと前後して、妹ジョーンとともに従姉で若ディスペンサーの妻であるエリナー・ド・クレアに預けられた。1325年にカスティーリャアルフォンソ11世との縁談が持ち上がったが、実現しなかった。1330年、父を死に追いやった母と和解した。1332年、母の従妹のエノー伯爵夫人ジャンヌ・ド・ヴァロワの仲立ちにより、ゲルデルン公レイナルト2世に嫁いだ。レイナルトには最初の妻ソフィー・ベルソーとの間に娘しかおらず、エリナーは男子を産むことを期待された。公爵夫妻は間に2人の息子をもうけた。
*レイナルト3世(1333年 - 1371年) - ゲルデルン公
*エドゥアルト(1336年 - 1371年) - ゲルデルン公
両親の不和を原因とする不幸な幼少期が災いしてエリナーは精神的に不安定であり、レイナルト2世は彼女を疎ましく思うようになった。レイナルトは1338年、エリナーに癩病に罹ったという難癖を付けて彼女を宮廷から追放した。さらに婚姻を解消しようとしたが、レイナルトは1343年に事故死した。夫の死後、宮廷に戻ったエリナーは幼い息子レイナルト3世の摂政を務めようとしたが、失敗に終わった。さらに成長した息子と不仲となって寡婦領を没収され、経済的苦境の中、身を寄せていたシトー会の修道院で没した。
== 参考文献 ==

*Mary Anne Everett Green, ''Lives of the Princesses of England: from the Norman Conquest'' (1849–1855)
*Alison Weir, ''Isabella the she wolf of France'' (2006)



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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