翻訳と辞書
Words near each other
・ エルウィン・ブルーノ・クリストッフェル
・ エルウィン・ベルベッケン
・ エルウィン・ロンメル
・ エルウィン・ヴァンデンベルグ
・ エルウィン・ヴェルヴェッケン
・ エルウェ
・ エルウェ・シンゴルロ
・ エルウェーウィン
・ エルウッド・ジェンセン
・ エルウッド・ブラウン
エルエス
・ エルエムジージャパン
・ エルエルビーン
・ エルエーギア
・ エルカインド回復
・ エルカクエイ
・ エルカザド
・ エルカズネ
・ エルカセット
・ エルカノ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エルエス : ウィキペディア日本語版
エルエス

エルエスLS)は20世紀後半に存在した日本模型メーカーである。プラモデル黎明期から連なる老舗であったが、1992年平成4年)に倒産した。
== 概要 ==
創業は1946年昭和21年)、創業時の社名はサンライト科学模型製作所。1954年(昭和29年)に製作したロゴはSがLに絡まるデザインで、読みも当初は「エスエル」だった。
戦前グライダー製造メーカーの前田製作所(福岡)で設計をしていた創業者・木村貫一が、戦後福岡で興した科学教材製造販売会社が前身。当初は廃品の等で製作したマグネットモーターなどを取り扱い、ライトプレーン解禁後は名機といわれたスカイホークを設計・製造・販売して爆発的な売り上げを記録した。
1950年(昭和25年)に拠点を京都に移し「木村商店」と改名。1951年(昭和26年)に至り、岐阜に拠点を移して「木村滑空研究所」と再改名した。岐阜を選択したのは当時の主力製品であるライトプレーン用の材、用の和紙の産地に近かったため。
1954年、東京科学工業(現マブチモーター)の01モーター発売に対応して、中型、小型の電動模型キットを次々と発売し、ライトプレーンと並ぶ主力商品となった。この艦船模型シリーズよりSとLを組み合わせたロゴを使い始めている。
プラモデルに参入したのは、1961年(昭和36年)の秋に発売された1/75スケール航空機モデル、「彗星12型」から。なお、本来の表記は「一二型」だが、エルエスに限らずプラモデルでは「2式」や「1型甲」のように型式名にアラビア数字を用いることが多い。
翌年に発売された『航空情報』において、「国産プラモデルとして海外製品と遜色ない製品が出てきた」と評されている。
しかし、プラスチックモデルへの転換が遅れたことも原因となって資金繰りが悪化、「木村滑空研究所」は閉鎖・廃業となった。
翌年、株式会社エルエス研究所(後に株式会社エルエスと改名)を立ち上げ、プラスチックモデル専業メーカーとして再出発した。社名は木村滑空時代のロゴが、Lが目立つデザインのため、エルエスと誤読され、それが一般化したため、株式会社移行に際して正式に社名をエルエスとした。
彗星に続いて「」・1型、2型、「零戦」・21型、52型、「2式水戦」と1/75でのキットを開発したのち、国際標準縮尺の1/72で「96陸攻」、「飛龍」 / 「靖国」、「キ109」、「97司偵」などの他社が手がけないユニークなキット群を発売した。初期の1/75シリーズも、表記は1/72に変更された(後述)。航空機のほか、自動車や1/1銃器類のプラモデルのメーカーとしても知られるようになる。
1980年代中頃に参入したキャラクターモデルの失敗と、同年代後半に銀行の勧めで岐阜駅近くに新工場を建設した資金負担が重荷となり、バブル崩壊による金融機関貸し剥がしのため、経営に意欲を失ったことが原因で1992年平成4年)に倒産した。
倒産の一年前には一部幹部による社内分裂があり、後継者にも恵まれなかったことなども原因とされている。
倒産後、航空機模型やノスタルジックカーを題材とした末期の人気シリーズである「1/32 オーナーズクラブ」を初めとする自動車模型の金型の多くは有井製作所(現・マイクロエース)に引き継がれ、一部のキットは生産と販売が継続されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エルエス」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.