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エルコレ・デ・ロベルティ : ウィキペディア日本語版
エルコレ・デ・ロベルティ

エルコレ・デ・ロベルティ(Ercole de' Roberti, 1451年頃 - 1496年)またはエルコレ・フェッラレーゼ(Ercole Ferrarese)、エルコレ・ダ・フェラーラ(Ercole da Ferrara)は、初期ルネサンスイタリア画家フェラーラ派に属する。ジョルジョ・ヴァザーリの著書『画家・彫刻家・建築家列伝』に、彼の伝記も書かれている。
== 生涯 ==
後にはフェラーラ公国エステ家宮廷画家にまで登り詰めることになるエルコレは、エステ城の門番の子として生まれた。
エルコレ17歳の時(1473年)には、フェラーラを出て、ボローニャフランチェスコ・デル・コッサの工房で働いていた。(ヴァザーリによると、デル・コッサではなくロレンツォ・コスタの徒弟をしていたということだが、エルコレはコスタより数歳年上なので、それはありえそうにない)〔Vasari, ''Vite'', profile of Ercole 〕。エルコレがスキファノイア宮殿(:en:Palazzo Schifanoia)のフレスコ画を共同制作したことは知られている。
エルコレがコズメ・トゥーラの跡を継いでエステ家の宮廷画家になったのは、1486年頃のことである。エルコレの役割はただ絵を描くだけではなかった。アルフォンソ1世・デステのローマ教皇訪問に随行させられ、マントヴァで催されたイザベラ・デステの結婚式では衣裳管理の監督をさせられ、ひょっとしたらサラミまで作らせられたかも知れない〔Biographical Information , on Ercole de' Roberti, Getty Center Los Angeles.〕。
エルコレの最期について、ヴァザーリは次のように書いている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エルコレ・デ・ロベルティ」の詳細全文を読む



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