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エルサレム聖書(La Bible de Jérusalem)(エルサレムせいしょ)は、エルサレム・フランス聖書考古学学院(Ecole Biblique et Archéologique Française de Jérusalem)によるフランス語訳聖書である。元々は「エルサレム聖書学院主宰フランス語訳聖書 La sainte Bible traduite en française sous la direction de l'Ecole biblique de Jérusalem」という表題であったが「エルサレム聖書」(La Bible de Jérusalem)という略称で呼ばれ、表紙もそのように印刷されるようになっている。他の人文科学研究での使用にも耐える、極めて質の高い翻訳と学問的に精確な解説・注釈を特徴とする。 ==概略== 1943年にローマ教皇ピウス12世は回勅「ディヴィノ・アフランテ・スピリトゥ」(''Divino Afflante Spiritu'')の中で、過去にヒエロニムスによってラテン語で書かれたウルガータではなく現代のカトリック教会のための聖書翻訳を新たにヘブライ語やギリシア語の原典から行うことを促した。これを受けて、エルサレム・フランス聖書考古学学院を中心にフランス語圏カトリック系研究者たちが総力をあげてフランス語への聖書翻訳が行われた。 1948年にジャック・ユビによる『マルコ福音書』がまず出版され、1954年までかかって個々の文書を担当した学者の個人訳という形で分冊が発行されていった。それぞれが長い解説と本文の量をはるかに超える脚注がついており、聖書学の基礎的な文献となっている。その後、これらの訳文が調整された上で1冊にまとめられ1956年に出版された。これらが総称されて「エルサレム聖書」(''La Bible de Jerusalemm'')と呼ばれている。1973年と1998年に改訂が行われた。 聖書翻訳の歴史の中でこの訳が画期的だと言われる理由は、それまではウルガタ(標準ラテン語訳聖書)に拠っていたカトリック教会関係の高等研究機関が本格的にギリシア語・ヘブライ語原典からの翻訳を行ったこと、しかも聖書研究で遥かに先行していたプロテスタント系翻訳をも凌駕しかねない高い学問的水準の翻訳であり、かつ文学的にも優れた翻訳であったことだといわれている。また、世界中で最も普及しているとされる聖書協会系のプロテスタント聖書とは異なり、テキストの異同を示す細かな訳注や脚注、詳細な解説が付いていたために学問的価値が大変に高いと評価された。内容的にも随所に現代的な見解を反映させ、科学的結論を盛り込んでいる。例えば、創世記をはじめとするモーセ五書は、その名の示すとおりモーセが書いたと従来のカトリック系聖書はしていたが、解説の中でこの見解を否定している。 このエルサレム聖書は大変な影響を与え、他の言語へも重訳が行われて(英語、ドイツ語、スペイン語など)これらも同様にエルサレム聖書と呼ばれている。とくに英語版(1966年)は、ドゥエ=ランス訳以来のカトリック訳として、また「ヨナ書」が 有名なJ・R・R・トールキンによるなど文学的にも高度な翻訳ということで話題となり、英語訳カトリック聖書として広く受け入れた。さらにプロテスタントの内容を包括する懐の広さなどによりプロテスタントからも用いられる質を持ち合わせているとも言われ、 20世紀における優れた英訳聖書のひとつに数えられた。 73年のフランス語版の改訂を受けて、英語版は1985年に『新エルサレム聖書』(New Jerusalem Bible: NJB)が刊行されている。1966年版とは異なりギリシャ語やヘブライ語原典から直接翻訳したとしてはいるが、フランス語改訂版を参照しており事実上の重訳であるという言われ方もされている。1985年版の新エルサレム聖書と対比させる形で1966年の英語翻訳版を『旧エルサレム聖書』と呼ぶことがある。 日本においても、フランシスコ会がエルサレム聖書に倣った(フランス語からの重訳では無い)日本語翻訳を1958年から分冊で発行し、1978年に合本で出版した。これは「フランシスコ会訳」と呼ばれ、日本の聖書翻訳史の中でも特筆されている。 このエルサレム聖書がきっかけになってフランスではカトリックとプロテスタントの共同訳聖書事業が開始された。これは第2バチカン公会議に先行したエキュメニズムの動きであり、その後、各国で行われた共同訳事業のモデルともなったものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルサレム聖書」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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