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エルトフェットル(氷語:Eldfell)とは、アイスランド・ヘイマエイ島にある標高200メートルの火山である。 この山は、1973年1月23日に始まった噴火によってできた〔。開始前、ヘイマエイ島の島民たちは何の前兆も感じることは無かった。この名前、エルトはアイスランド語で「火」、フェットルは「山」もしくは「丘」を意味する。続けて「火の山」が日本語における意訳であろうか。 火山噴火はこの島に重大な危機をもたらし、殆どもう少しで島民が永久に全島避難するという結果になるところだった。火山灰が島内全域に降り注ぎ、重みで400軒の家屋を倒壊させてしまった。また、溶岩流が港をもう少しでふさぎそうになるところまで迫ってきていた。この島の主要な収入源は島民が保有する漁船団によって得られる漁獲高に占められている。港口を埋めつくさんばかりに前進する溶岩流に、ポンプで汲み上げた海水をその上にかけて冷却するという作戦が決行された。海水によって溶岩は冷えて固まり、作戦は成功した。〔島村英紀「地震と火山の島国 極北アイスランドで考えたこと」第6章 岩波書店 ISBN 4005003699〕〔竹内均「燃える島 アイスランド紀行」p155-157 徳間書店 ISBN 4195994772〕。 本作戦は、港の喪失を防げたという点で大成功をおさめた。 噴火がおさまってから、島民たちは、ゆっくり冷えていく溶岩流の熱を、熱湯を沸かして暖房したり、熱で電気を起こしたりするのに利用した。彼らは広大な土地に降り積もったテフラをも利用した。テフラとは、火山灰などの空から降下する火山性の物質である。彼らは、テフラを島内にある小さな飛行場の滑走路を延伸するための盛り土の材料にしたり、港の一部を埋め立てて埠頭を新設する材料にしたりと、多方面に使ったのである。こうした復興活動により、200軒の家が新築された。 == 背景 == アイスランドは、この国自体が大西洋中央海嶺にまたがった位置に存在しているため、火山活動が活発な地域である。海嶺では北アメリカプレートとユーラシアプレートが地下から湧き出し、お互いに離ればなれの方向に移動していく。さらに加えて、アイスランドは火山活動を非常に強大にするアイスランド・ホットスポットの真上に位置している。アイスランドでの火山噴火によって、有史以来に世界中で噴出した全部の玄武岩質溶岩のうち、約三分の一がアイスランドの地表に噴出したもので占められるのではないかと推定されている。 ヴェストマン諸島はアイスランド島の南岸にあり、完新世の噴火で形成されたいくつかの小島から成り立っている。ヘイマエイ島はその中で最大の島であり、諸島内で唯一、アイスランド人が居住する島であり、島を構成する物質の中には他の島と同様に、少数だが更新世に噴出した火山岩を含んでいる。1973年噴火前、島の中で一番高い場所といえばであった。227メートルの高さがあり、5000年前の噴火でできた火山砕屑丘である。 ヴェストマン列島は西暦874年頃にヒトが定住し始めた。最初は、スカンディナヴィア本土にいたノース人(ヴァイキング)に服属していたが脱走したアイルランド人の奴隷たちが定着した。これらの移住者たちは、住処とした島に自分たちの名前をつけた。スカンジナビアから見て、アイルランドは西にあたるので、彼らは西の人々ということになる。それゆえ、「西から来た人々が住まう島々」という意味を込めてヴェストマン諸島という名前にしたのである。その歴史の大半において、島民は乏しい水源と海賊に悩ませられてきたとはいえ、アイスランド南海岸にある数少ない良港のうちの一つが存在するヘイマエイは、今日においてアイスランドにおける漁業・水産加工業の最重要拠点となり、高い漁獲収入により港は大賑わいをみせるまでになっている。 ヒトが定住して以来、1963年に噴火が起こるまでは、ヴェストマン諸島において噴火の発生が知られたことは一度たりとして無かった。1963年から始まった4年間にわたる海底噴火の末に、列島の新メンバーであるスルツェイ島が、ヘイマエイの南西20キロメートルの沖合に誕生した。しかしながら、海底噴火は1637年と1896年にも起こっていたかもしれない。火山学者は、アイスランドを南北に縦断するリフトが南方に伝播するためにウェストマン諸島での火山活動が活発化しているのかもしれないと推測している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルトフェットル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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