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エルピディオ・キリノ : ウィキペディア日本語版
エルピディオ・キリノ

エルピディオ・キリノ(、1890年11月16日 - 1956年2月29日)は、フィリピン共和国政治家1948年から1953年まで、同国の第6代大統領を務めた。
== 大統領就任まで ==
1890年、ルソン島北西部にあるイロコス・スル州ビガンで生まれ、少年時代をラ・ウニョン州アリンガイで過ごした。キリノはビガンの高校を卒業するとマニラに上京し、土地局やマニラ警察で働いた。1911年にマニラ高校を卒業し、公務員試験に合格した。
フィリピン大学に進学したキリノは1915年に法学部を卒業、後に法曹界入りした。その後、1919年に下院議員に選出されるまで弁護士として従事した。1925年に下院議員から上院議員に転じ、1931年まで上院議員を務めた。その間、財務大臣や内務大臣を歴任した。
1934年、キリノは、タイディングス・マクダフィー法が米国議会で可決されることを目指したマニュエル・ケソン率いるフィリピン独立使節団の一員としてワシントンを訪問した。同法は成立し、1945年までにフィリピンを独立させるものと定めたが、フィリピンが正式に独立宣言を行ったのは1946年7月4日であった。
第二次世界大戦中のマニラの戦いでは、妻のアリシアと5人の子のうち次男・長女・三女の3人が日本兵に殺害されている〔永井均『フィリピンと対日戦犯裁判』(岩波書店)1~3頁〕。
戦後、キリノは公職での活動を続け、上院仮議長を務めた。1946年、キリノは独立後初の副大統領に選ばれた。マニュエル・ロハス大統領の下で、国務長官も兼任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エルピディオ・キリノ」の詳細全文を読む



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