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エルマー・デセンス(Elmer Dessens, 1971年1月13日 - )は、メキシコ・ソノラ州エルモシージョ出身の元プロ野球選手(投手)。現在はシンシナティ・レッズ傘下ルーキー級アリゾナリーグ・レッズの投手コーチ補佐を務めている。 名前の読みは、正しくは「デセンス」ではなく「デセンズ」。 == 来歴・人物 == 1月27日にピッツバーグ・パイレーツと契約。 にピッツバーグ・パイレーツでメジャーデビューを果たすと、に中継ぎを中心として43試合に登板。 3月31日に放出され、日本の読売ジャイアンツに入団。しかし期待にこたえることができず、未勝利のまま退団。12月15日にシンシナティ・レッズと契約した。 にメジャーに復帰後、2年連続二桁勝利を挙げるなど活躍する。 12月15日に4球団間でのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。 は、序盤戦にエースのランディ・ジョンソンとカート・シリングを怪我で欠く中、チーム最多の30先発を記録するなど、当時新人だったブランドン・ウェブやミゲル・バティスタらと共に苦しい先発ローテーションを支えた。しかし、7回まで投げたのはわずか4試合だった。また、対戦相手の4番打者は被打率.195とほぼ完璧に抑え込んだのに対し、8番打者には被打率.391と打ち込まれた。 8月19日にトレードでロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。10月15日にFAとなったが、12月8日にドジャースと再契約した。 11月3日にFAとなり、12月12日にカンザスシティ・ロイヤルズと契約。 は第1回WBCのメキシコ代表に選出。7月25日にトレードでドジャースへ復帰した。 3月26日にトレードでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍。8月9日に放出され、8月11日にコロラド・ロッキーズと契約。10月30日にFAとなり、12月21日にピッツバーグ・パイレーツと契約した。 3月27日に放出され、8月27日にアトランタ・ブレーブスと契約。11月5日にFAとなった。 は2006年に続いて第2回WBCのメキシコ代表に選出。2月5日にニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ。シーズン途中にメジャー昇格を果たしたものの、7月30日にDFAとなった。しかしジョン・ニースが故障したことにより、8月6日に再びメッツとメジャー契約を結んだ。11月10日にFAとなったが、12月9日にメッツと再契約した。 11月1日にFAとなった。 はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズでプレーした。 、シンシナティ・レッズ傘下ルーキー級アリゾナリーグ・レッズの投手コーチ補佐に就任した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルマー・デセンス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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