|
エルモ・ラッセル・ズムウォルト・ジュニア(Elmo Russell Zumwalt, Jr.、1920年11月29日 - 2000年1月2日)は、アメリカ合衆国海軍の軍人、大将。1970年7月1日に第19代アメリカ海軍作戦部長に就任した。 == 経歴 == 1939年に海軍兵学校入学、卒業後の1942年6月19日に少尉任官、駆逐艦「DD-360 フェルブス」に乗り組み勤務し、その後1943年8月に太平洋作戦・訓練司令部に勤務する。1944年1月「DD-562 ロビンソン」に乗り組み、レイテ沖海戦に参加する。 終戦後は日本海軍の砲艦「安宅」接収作業のため上海に赴く。第二次世界大戦勃発以来、アメリカの統制下にある艦艇を指揮し黄浦江に進入したアメリカ軍人となる。日本兵の武装解除終了後、「安宅」を中華民国当局に引渡し任務完遂する。また、上海に住んでいたロシア人の母とフランス人の父親との間に生まれたモーザ・コットレ・ドゥ=ロシュと結婚する。 1946年3月「DD-465 ソーフリー」その後「DD-777 ゼラーズ」に乗り組んだ。1948年1月、ノースカロライナ大学の予備役将校訓練課程の教官として1950年6月まで勤務した。同月、練習艦として復帰することとなった「DE-748 ティルス」の艦長に任命され、1950年11月21日にチャールストン海軍工廠で再就役儀装の完了後、艦長として1951年3月まで勤務する。その後「BB-64 ウィスコンシン」に乗り組み勤務する。 1952年6月に海軍大学校に入校し、1953年6月に修了し、海軍人事局で勤務、特に健康保健の立法に関った。1955年7月に「DD-869 アーノルド・J・イズベル」艦長、1957年7月に海軍人員局に戻る。1957年12月に海軍長官事務局へ(人事・予備役)専門補佐官として1958年11月まで勤務、1959年8月まで特別参謀として勤務する。 1959年12月「DDG-45 デューイ」の初代艦長に就任、1961年6月まで務める。その後、国立戦争大学に入校。1962年6月から国防長官補佐官として勤務、主に軍縮問題や対キューバ非常事態計画に携わる。1963年12月から1965年6月21日まで、ポール・ニッツ海軍長官付主任補佐官兼高級参謀として務める。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルモ・ズムウォルト・ジュニア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|