翻訳と辞書
Words near each other
・ エルンスト・カシミール (ナッサウ=ディーツ伯)
・ エルンスト・カシミール・ファン・オラニエ=ナッサウ
・ エルンスト・カジミール (ナッサウ=ディーツ伯)
・ エルンスト・カジミール2世・ツー・イーゼンブルク・ウント・ビューディンゲン
・ エルンスト・カッシーラー
・ エルンスト・カルテンブルナー
・ エルンスト・カルテンブルンナー
・ エルンスト・カントロヴィチ
・ エルンスト・カントロヴィッチ
・ エルンスト・カントーロヴィチ
エルンスト・ガーデルマン
・ エルンスト・ギデオン・フォン・ラウドン
・ エルンスト・ギュンター・シェンク
・ エルンスト・ギュンター・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク
・ エルンスト・クシェネク
・ エルンスト・クシェネック
・ エルンスト・クシェーネク
・ エルンスト・クラドニ
・ エルンスト・クラフト・ヴィルヘルム・ヌセルト
・ エルンスト・クラメル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

エルンスト・ガーデルマン : ウィキペディア日本語版
エルンスト・ガーデルマン

エルンスト・ガーデルマン(Dr. med. Ernst Gadermann 1913年12月25日~1973年11月26日)はドイツ軍人軍医
第二次世界大戦を通して公式戦果のみでもソビエト連邦労農赤軍装甲戦闘車両500輌を撃破したハンス・ウルリッヒ・ルーデルの後方機銃手の一人として知られている。
== 経歴 ==
1913年ドイツ帝国中西部のヴッパータールで生まれる。
1941年10月、軍医として第2急降下爆撃航空団第III飛行大隊(III./StG2)に配属され、当時中尉であったルーデルと出会う。スポーツ好きという共通点によって親交を深め、ルーデルと共に訓練を受けるガーデルマンの姿が見られたという。
冬頃から後方機銃手として前線にも立つようになるが、専属の機銃手にはならずにいた。一方で、後方機銃手としての確かな技量と、医者としての優れた活動は、多くのパイロットから絶大な信頼を寄せられるに至った。
1944年3月20日、ルーデルの第二の専属機銃手であるエルヴィン・ヘンシェル行方不明戦死)、整備士のロートマン(あるいはロースマン)を経て、5月にルーデルの後方機銃手に着任する。
ルーデルが対空砲火によって右脚を失う1945年2月9日までおよそ850回の出撃をこなした。2月9日以降もガーデルマンが機銃手を務めるはずだったが、ルーデルがベルリンの病院を退院した時にはガーデルマンはドイツ西部のブラウンシュヴァイクに居り、制空権がとられ交通も麻痺した状態では移動もままならず、結局戦争中に2人が再会することはなかった。
その後ルーデルの後方機銃手は終戦まで従軍記者エルンスト・ニールマンが務めた。終戦前後にガーデルマンは米軍捕虜になるがすぐに釈放され、ヴッパータールの実家に帰郷している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エルンスト・ガーデルマン」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.