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エルンスト・ゴットリープ・バロン : ウィキペディア日本語版 | エルンスト・ゴットリープ・バロン
エルンスト・ゴットリープ・バロン (Ernst Gottlieb Baronまたはエルンスト・テオフィル・バロン(Ernst Theofil Baron), 1696年2月17日-1760年4月12日はドイツのリュート奏者、作曲家、音楽著述家。 バロンはブレスラウで、金モール職人ミヒャエル・バロンの家に生まれた。息子も同じ道を歩むことが期待されたが、バロンは幼い頃から音楽に関心を示し、後に自らの職業とした。1710年頃からコホットという名前のボヘミア人にリュートを学んだ。ブレスラウのエリザベート・ギムナジウムに入学し、1715年からライプツィヒ大学で哲学と法律を学んだ。1719年から1728年の間は各地の小宮廷を転々とした。ハレ、ケーテン、シュライツ、フェルト、ルードルシュタットを訪れた後、1720年にイェーナを訪れ、当地で2年を過ごした。 その後、カッセル、フルダ、ヴュルツブルク、ニュルンベルク、レーゲンスブルクを経て、1727年にニュルンベルクで著作"Historisch-theoretische und practische Untersuchung des Instruments der Lauten"邦題『リュート―神々の楽器―』を出版した。主としてこの著作により彼の名は記憶に留められている。1728年にゴータの宮廷で、落馬事故により死亡したばかりのリュート奏者モイセルの後任となった。4年間その地位に留まり、ゴータ公の没後アイゼナハに移った。1737年、メルゼブルク、ケーテンとツェルプストを訪れ、最終的にテオルボ奏者としてプロイセン皇太子フリードリヒの楽団に参加した。テオルボ購入の名目でドレスデン行きを許可された。ドレスデンで、リュート奏者シルヴィウス・レオポルト・ヴァイスとI・A・ホーファーから教えを受けた。1740年にフリードリヒの即位後、王立音楽協会のテオルボ奏者として仕え、亡くなるまでこの地位にとどまった。 == 著作 ==
*Historisch-theoretische und practische Untersuchung des Instruments der Lauten, Nürnberg,1727 (邦訳『リュート―神々の楽器―』菊池賞訳、水戸茂雄監修、東京コレギウム2001年、改訂版2009年) ISBN 9784924541900
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