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アロハ・フロム・ハワイは、歌手であるエルヴィス・プレスリーが1973年1月14日0時30分、ハワイのホノルル・インターナショナル・センターで行なった慈善コンサートである。報道番組だけに使われていた人工衛星を使い、世界同時生中継された史上初で最後の巨大ショーである。 クイ・リー癌基金の慈善コンサートのため入場料はなく、任意の金額を寄付するという形となった。エルヴィスとパーカー大佐はそれぞれ1000ドルを寄付している。〔エルヴィス伝 復活後の軌跡1958-1977 496P〕 約38カ国で放送され〔、視聴者数は10億人以上〔アロハ・フロム・ハワイ(BVCM-31011) ライナーノーツ〕とも、 15億人〔http://www.sonymusic.co.jp/artist/elvispresley/discography/SICP-3804〕とも言われている。 日本では7時というゴールデンタイムで中継され、視聴率37.8パーセントを叩き出した。アメリカでは33.8%。フィリピン91~92%、香港70~80%、韓国70~80%を記録した。〔 当時はまだ、長時間の衛星生中継技術が未熟であり、NBC-TVは本放送時の映像の送受信トラブル対策のため、本番さながらに行なわれた前々日のリハーサル・コンサートが収録された。 本国アメリカではマネージャーのパーカー大佐が72年公開のドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ツアー」との競合を避けるために〔、4月4日に拡張版(といってもコンサート自体は短くなり、合間にハワイの情景などを加えた「ブルー・ハワイ」などが挿入されたもの)が放送された。 エルヴィスは公演5日前の1月9日、ホノルルに入り、空港から宿泊先のヒルトン・ホテルまでヘリコプターで移動。(到着シーンがアメリカ国内放送時の冒頭に使用された。)⇒エルヴィスの顔色が若干悪いようにも見える。1956年に飛行機事故を体験後、飛行機は苦手であった。ハリウッドでの映画撮影を行っていた1960年代はトレーラーバスを購入し、メンフィスとハリウッドの移動手段に利用した。後年は、飛行機嫌いを克服し、ツアーの移動用に自家用ジェットを購入。 このショーでエルヴィスは23曲を熱唱。その大半は他人の曲で、ロックンロールは軽く流し、バラードに力を入れている。ゴスペル調の張り上げる歌唱スタイルで感動を呼んだ。 ==取り上げた曲== *「ツァラトゥストラはかく語りき」- Also Sprach Zarathustra *「シー・シー・ライダー」- See See Rider *「バーニング・ラヴ」- Burning Love *「サムシング」- Something *「ユー・ゲイヴ・ミー・ア・マウンテン」- You Gave Me A Mountain *「スティームローラー・ブルース」- Steamroller Blues *「マイ・ウェイ」- My Way *「ラヴ・ミー」- Love Me *「ジョニー・B.グッド」- Johnny B. Goode *「イッツ・オーヴァー」- It's Over *「ブルー・スエード・シューズ」- Blue Suede Shoes *「泣きたいほどの淋しさだ」- I'm So Lonesome I Could Cry *「愛さずにはいられない」- I Can't Stop Loving You *「ハウンド・ドッグ」- Hound Dog *「そして今は」- What Now My Love *「フィーバー」- Fever *「私の世界へ」- Welcome to My World *「サスピシャス・マインド」- Suspiciopus Minds *「アイル・リーメンバー・ユー」- I'll Remember You *「のっぽのサリー~陽気にやろうぜ」(メドレー)- Long Tall Sally~A Whole Lotta Shakin' Goin' On *「アメリカの祈り」- An American Trilogy *「恋の大穴」- Big Hunk o' Love *「好きにならずにいられない」- Can't Help Falling in Love 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アロハ・フロム・ハワイ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Aloha from Hawaii Via Satellite 」があります。 スポンサード リンク
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