|
「エルヴィス・イン・メンフィス」はエルヴィス・プレスリーのアルバム。68カムバック・スペシャルと共にエルヴィスの復活を決定付けた重要なセッションであり評価も高い。 このセッションの音源を元にリミックスしたコンピレーションアルバム「ザ・メンフィス・レコード」や、録音された全32曲に別テイク等を加えた「サスピシャス・マインド~メンフィス1969アンソロジー」が発売されている。 ジャケットは68カムバック・スペシャルの時のもの。 ==解説== もともとはナッシュヴィルでレコーディングが行われる予定だったが、エルヴィスの友人であるマーティ・ラッカーがメンフィスにあるチップス・モーマンのアメリカン・スタジオで働いており、そのアメリカン・スタジオ試してはどうかと提案し、ニール・ダイアモンドが入る予定だった所へエルヴィスがレコーディングを行うことになった。〔サスピシャス・マインド~メンフィス1969アンソロジー ライナーノーツ〕 ニール・ダイアモンドはスケジュールを譲る代わりにエルヴィスに自分の曲を1曲歌って欲しいと要望し「アンド・ザ・グラス・ウォント・ペイ・ノー・マインド」がレコーディングされることになったという。〔エルヴィス・イン・メンフィス レガシー・エディション ライナーノーツ〕 また、メンフィスでのレコーディングはサンレコード時代以来14年ぶりであった。〔エルヴィス デイヴ・マーシュ著 285P〕 69年1月13日から23日早朝にかけて1回目のセッションが行われ、2月17日から22日に2回目のセッションが行われた。また、1月~3月にかけてオーバーダビングが施された。 このセッションに参加していたギタリストのレジー・ヤングはかつてビル・ブラックコンボに所属していた。 1月15日から19日の間エルヴィスの風邪が悪化したためレコーディングを休み、「ドント・クライ・ダディ」「インヘリット・ザ・ウィンド」「想い出のバラ」のバックの演奏のみが1月15日に先に録音され、21日にエルヴィスのヴォーカルがダビングされた。 1月21日に敬愛するロイ・ハミルトン(Roy Hamilton)が同じスタジオでレコーディングを行っているのを知ったエルヴィスは翌日とその次の日の昼間にロイ・ハミルトンと会い一緒に写真を撮り、自分が録音する予定だった「ANGERICA」という曲をプレゼントした。〔フロム・ナッシュヴィル・トゥ・メンフィス ジ・エッセンシャルズ60’sマスターズ ライナーノーツ41P〕 1月21日のセッションでビートルズの「ヘイ・ジュード」を取り上げたが、お遊び的なセッションだったようで仕上げないまま次の曲に移ってしまい、72年のアルバム「エルヴィス・ナウ」に収録されるまでお蔵入りしていた。曲が終わる少し前にエルヴィスが笑ってしまっているのが聞き取れる。 「わが胸に抱きしめて」ではエルヴィス自らピアノを弾いている。 1999年にアップグレイド盤として6曲がボーナストラックとして加えられた。 2009年に「バック・イン・メンフィス」とのカップリングでボーナストラックを加えたレガシー・エディションが発売された。 ディスク1のボーナス・トラックはRCA傘下のCAMDENの廉価盤と「エルヴィス・ナウ」で発表されていた4曲を収録。 ディスク2のボーナス・トラックはオリジナル・モノ・シングル・マスターを収録している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エルヴィス・イン・メンフィス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|