|
エレクトロ・ショック(''Electroshock''、1970年4月22日 - )は、メキシコのプロレスラー。コアウイラ州トレオン出身。 弟はチャーリー・マンソン、妻はレディ・アパッチェ。 == 来歴 == 若い頃、アーノルド・シュワルツェネッガーに憧れてボディービルを始める。 1992年2月2日にメキシコシティで行われたCMLLの「ピスタ・アレナ・レボルシオン」にてアルティメイタムのマスクマンでデビュー。 1997年、AAAに移籍。4月からリングネームをスキゾフレニア、そして9月から現在使用しているリングネーム、エレクトロ・ショックへと変更。そしてロス・バイパースにメンバー入りし、ルードへと転向。 1998年9月、チェスマンにコントラ・マッチに破れ坊主になる。 1999年5月、アビスモ・ネグロとタッグを組んでペロ・アグアヨ & ペロ・アグアヨ・ジュニア組を破りナショナルタッグを奪取。 2000年、みちのくプロレスの「みちのくふたり旅’00」に出場するためペンタゴンとともに初来日し、参戦。トーナメント決勝でグラン浜田 & タイガーマスクと対戦するが敗戦し、準優勝となる。5月にはAAAに戻り、ハトール & ザ・パンテルから勝利し、メキシカンナショナルタッグ王座を奪取。 2001年6月、ヘビー・メタルから勝利し、UWA世界ライト級を奪取。同月にはエクトール・ガルサから勝利し、メキシカンナショナルライトヘビー級王座を奪取。 2003年6月、妻のレディ・アパッチェとタッグを組んでグラン・アパッチェ & ファビー・アパッチェ、エル・ブラソ & マーサ・ビラボロス、チェスマン & ティファニーから勝利し、初代AAA世界混合タッグ王座を戴冠。そしてコナンがリーダーを務めるヒールユニット、「ラ・レギオン・エストゥランヘーロ」に加入。 2009年、レイ・デ・レイエス優勝。6月にはドクトル・ワグナー・ジュニア率いる「ロス・ワグナーマニアコス」にメンバー入り。 2010年、ワグナー・ジュニア離脱後、「ロス・マニアコス」へとユニット名を変更。3月にエル・メシアス、ミスター・アンダーソンとの3wayマッチに勝利しAAA世界ヘビー級王座を奪取。6月にワグナー・ジュニアに敗れ防衛に失敗。11月にはテクニコに転向した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エレクトロ・ショック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|