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エンセン井上(エンセン いのうえ、1967年4月15日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家、プロレスラー。ハワイ州ホノルル出身。日系アメリカ人4世。PUREBRED所属。ブラジリアン柔術黒帯。元修斗ヘビー級王者。修斗四天王の一人。 キャッチフレーズは「大和魂」であり、自身の胸と背中にも「大和魂」と刺青を彫っている。 総合格闘家のイーゲン井上は実兄。 == 来歴 == 広島にルーツを持つ日系アメリカ人4世〔家紋を探る(英語) | Real People | ディスカバー・ニッケイ 〕。ハワイ大学在学中にラケットボールの選手として来日。22歳から始めた柔術をバックボーンに1995年1月に修斗デビュー。 1997年5月30日、UFC初参戦となったUFC 13のヘビー級トーナメント1回戦でロイス・アルジャーと対戦し、アームロックで一本勝ち。負傷のため決勝は棄権した。 1997年10月12日、初代修斗ヘビー級王座認定戦でジョー・エステスと対戦し、TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。 1998年10月25日、VALE TUDO JAPAN '98でUFC世界ヘビー級王者のランディ・クートゥアと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。試合後に「皆さん!オレが負ける言った人、くたばれ!」とマイクアピールした〔VALE TUDE JAPAN '98 第8試合 BoutReview〕。 1998年12月11日、「U-DREAMS 1st IMPACT」でジョン・カルボと変形修斗ルールで対戦し、2分13秒腕ひしぎ十字固めで一本勝ち〔U-DREAMS 1st IMPACT BoutReview〕。 1999年4月29日、PRIDE初参戦となったPRIDE.5で西田操一と対戦し、スリーパーホールドで一本勝ち。 1999年9月5日、同年3月に起こした傷害事件を原因として修斗ヘビー級王座を返上およびプロ修斗ライセンスの無期停止処分が発表された〔エンセン井上、王座返上 BoutReview 1999年9月7日〕(2000年2月9日付けでライセンス無期停止処分が解除された)。 PRIDEでは負けん気の強さと特攻ファイトで、大和魂Tシャツが人気を得るようになる。選手活動と並行して、1995年から埼玉県の総合格闘技ジム「PUREBRED大宮」で柔術の指導を務めた。 相手の土俵で試合をしようとするため、なかなか勝ち星に恵まれなくなり、2000年のイゴール・ボブチャンチン戦ではスタンドでのパンチ合戦に挑み、鼓膜など耳内を損傷する大怪我を負う。その後遺症もあって引退を決意。「心が折れたため」「イラク戦争で米兵に志願するため」という理由もあった。 2000年12月23日、PRIDE.12でヒース・ヒーリングと対戦し、グラウンドの膝蹴りでTKO負け。試合後、リング上で「今日は100%出しました。今日が私の大和魂の最後の試合でした」と突然の引退宣言を行った〔PRIDE.12 第5試合 BoutReview〕。 2002年2月24日、PRIDE.19でアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと引退マッチを行って、三角絞めで失神し一本負け。 2003年3月9日、新日本プロレスにクレイジードッグスのボスとして初参戦。魔界倶楽部と抗争した。新日本離脱後は、リキプロ、ビッグマウス・ラウドへ参戦している。 2006年8月15日には、自身がプロデューサーを務めた総合格闘技興行「『心』 Kill or be Killed」を後楽園ホールで開催。金原弘光やジャダンバ・ナラントンガラグなどが参戦した。 2008年10月18日、東京都豊島区で大麻16.9グラムを所持していたところを職務質問を受け、大麻取締法違反で現行犯逮捕された〔「自分で吸った」エンセン井上 大麻逮捕 - Sponichi Annex〕。 2008年12月26日、大麻所持事件の判決公判が開かれ、懲役10か月、執行猶予3年(求刑懲役10か月)の判決が言い渡された〔大麻所持エンセン井上被告に執行猶予判決 - nikkansports.com 2008年12月27日〕。 2010年4月25日、吉田秀彦引退興行 〜ASTRA〜にて、およそ6年ぶりに総合格闘技に復帰。アンズ・"ノトリアス"・ナンセンと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エンセン井上」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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