|
遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - )は、日本の政治家。愛称はエンタケ。 置賜農業共済組合組合長理事、山形県農業共済組合連合会会長理事、社団法人全国農業共済協会理事、山形県議会議員、衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第45代)などを歴任した。 == 経歴 == 山形県米沢市出身。父は米沢市議会議長、山形県議をつとめ、山形農政に強い影響力を持っていた遠藤清海。現在の山形県立米沢興譲館高等学校を卒業後、1961年に中央大学文学部を卒業し、帰郷。県指導主事、米沢市農業協同組合理事などを務めた後、山形県議会議員(3期)を経て、1986年、第38回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。以降、1度の落選を挟んで通算6回当選。 小選挙区比例代表並立制が導入された1996年に近藤鉄雄と党公認を争ったが、敗れて離党。しかし、閣僚経験者の近藤を破って当選し、自由の会を経て復党した。以後は近藤の長男の洋介と激しい選挙戦を繰り広げた。 党内では近未来政治研究会に所属した。総務、農水、通産の各政務次官、農林水産副大臣のほか、党副幹事長、党国際局長、党総務局長などを歴任。 2007年8月27日、第1次安倍改造内閣に農林水産大臣として初入閣。しかし金銭問題でわずか8日間で辞任。記者団から「農林水産大臣として何か功績は残せましたか?」と聞かれた遠藤は「結果として辞任に至ったことは大変残念」と答えた。後任には前任者の若林正俊が再度就任した。 2008年9月、次期衆院選に立候補せず、健康上の事情を理由に政界を引退する事を表明。 2010年4月、春の叙勲において旭日大綬章を受章した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤武彦」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Takehiko Endo 」があります。 スポンサード リンク
|