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エンニオ・フライアーノ(, 1910年3月5日 - 1972年11月20日)は、イタリアの脚本家、劇作家、ジャーナリスト、小説家である〔Ennio Flaiano, インターネット・ムービー・データベース , 2010年12月13日閲覧。〕〔Ennio Flaiano, allmovie , 2010年12月13日閲覧。〕。文学賞のフライアーノ賞、国際映画祭のフライアーノ映画祭、ローマのフライアーノ劇場に名を残す。 == 人物・来歴 == === ネオレアリズモからイタリア式コメディへ === 1910年(明治43年)3月5日、イタリア王国(現在のイタリア共和国)ペスカーラ県ペスカーラに生まれる〔〔。 1942年(昭和17年)に公開されたロモロ・マルチェッリーニ監督のドキュメンタリー映画 ''Pastor Angelicus'' (日本未公開)の脚本を書き、助監督を務めたのが、映画界での最初の記録である〔。第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)、小説 ''Tempo di uccidere'' で、第1回ストレーガ賞を受賞する。1948年(昭和23年)、マルチェロ・パリエロ監督の『自由都市ローマ』の原案で、ナストロ・ダルジェント賞最優秀原作賞を受賞する〔。 1958年(昭和33年)、フェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、トゥリオ・ピネリとともに第30回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる〔。1959年(昭和34年)、フェデリコ・フェリーニ監督の『カビリアの夜』の脚本で、同作を共同執筆したピエル・パオロ・パゾリーニ、トゥリオ・ピネリとともにスペイン・バルセロナでのサン・ジョルディ賞最優秀外国脚本賞を受賞する〔。 フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、ブルネッロ・ロンディ、トゥリオ・ピネリとともに1961年(昭和36年)にはナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞、1962年(昭和37年)には第34回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる〔。1964年(昭和39年)、フェデリコ・フェリーニ監督の『8 1/2』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、ブルネッロ・ロンディ、トゥリオ・ピネリとともに、ナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞、同年の第36回アカデミー賞脚本賞および原作賞にノミネートされる〔。 1972年(昭和47年)11月20日、心臓病のためローマで死去した〔〔。満62歳没。マッカレーゼ墓地に眠る〔Ennio Flaiano, Find A Grave , 2010年12月13日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エンニオ・フライアーノ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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