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エンリコ・カルロ・ディ・ボルボーネ=パルマ : ウィキペディア日本語版 | エンリコ・カルロ・ディ・ボルボーネ=パルマ
エンリコ・カルロ・ルイージ・ジョルジョ・ディ・ボルボーネ=パルマ(, 1851年2月12日 パルマ - 1905年4月14日 マントン)は、イタリアのブルボン=パルマ家の公子。パルマ公カルロ3世とその妻でフランス王シャルル10世の孫娘であるルイーズ・ダルトワの間の次男。最後のパルマ公ロベルト1世の弟。バルディ伯()の儀礼称号で呼ばれた。 1873年11月25日にフランスのカンヌにおいて、両シチリア王フェルディナンド2世の娘マリーア・ルイーザ(兄ロベルトの最初の妻マリーア・ピアの妹)と結婚したが、マリーア・ルイーザは結婚後わずか3ヵ月で急死した。エンリコは1876年10月15日にオーストリアのザルツブルクにおいて、ポルトガルの廃王ミゲル1世の娘アルデグンデス(兄ロベルトの2番目の妻マリーア・アントーニアの姉)と再婚した。どちらの妻との間にも子供はなかった。 エンリコはヴェネツィアのカナル・グランデに面したカ・ヴェンドラミン・カレルジ宮殿の所有者であり、1882年には作曲家のリヒャルト・ワーグナーとその家族を招待し、宮殿に住まわせている。ワーグナーは翌1883年にこの宮殿で息を引き取った。
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