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エヴァ・パーマー・シケリアノス : ウィキペディア日本語版
エヴァ・パーマー・シケリアノス

エヴェリーナ・「エヴァ」・パーマー=シケリアノス(Evelina "Eva" Palmer-Sikelianos 、1874年1月9日 - 1952年6月4日)は、アメリカ合衆国の女性歴史家である。古典ギリシアの文化、製織、演劇、合唱的舞踊、音楽の研究と振興で知られる。パーマーの人生と芸術家的努力は、生涯を通じて多くの有名芸術家と相交わる。舞踊家イサドラ・ダンカン、テッド・ショーン、フランス文学の大家コレット、詩人・作家ナタリー・バーネイ、女優サラ・ベルナールのような人々によって霊感を与えられもし、またこれらの人々に霊感を与えもした。彼女はのちにギリシアの詩人・脚本家アンゲロス・シケリアノス(Angelos Sikelianos)と結婚することになる。ふたりは力を合わせてギリシアのデルポイの大祭の復活を組織化した。美術や音楽、演劇のこれらの大祭に具体化するかたちで、パーマーは、ギリシア国内外における平和と調和という目標を促進する啓蒙の釣り合いのとれた感覚を推進したいと望んだ。
==前半生==
パーマーは、1874年1月9日に、ニューヨーク市のグラマーシー・パーク(Grammercy Park)に生まれた。知識人たちと天分に恵まれた芸術家たちの一家の5児のひとりであった。生家は、自由思想や因襲にとらわれない教育、音楽や演劇、文学の探究を推進する家庭であった。彼女の最古の思い出は、父の「十九世紀クラブ」(Nineteenth Century Club)の思い出で、そこでの初期の会合はパーマーの家で催された〔Palmer-Sikelianos, pp. 5-11.〕〔Rodriquez, p. 56.〕。十九世紀クラブは、異質の政治的イデオロギーの信奉者、無神論者、宗教上の巨星を集めた。彼女の父は、政治や宗教、道徳に関する、思慮豊かな、なごやかな議論の進行役をつとめた。若きパーマーはこういう議論を目の当たりにし、こういうものが若い女性・成人としての自分自身の思想の種をまいたとのちに彼女は書くことになる。1888年夏にコートランド・パーマー・シニア(Courtlandt Palmer Sr.)は虫垂炎で死亡した〔Palmer-Sikelianos, p. 9.〕。パーマーの母はのちに、ロバート・アビ(Robert Abbe)という男性と再婚することになる〔Palmer-Sikelianos, p. 29.〕。パーマーがナタリー・バーネイと知り合いになるのは、メーン州のバー・ハーバー(Bar Harbor)における一家の避暑休暇中のことであった。ふたりは詩や文学、乗馬への関心を共有した。バーネイはパーマーを中世の処女にたとえたが、これは彼女の足首までの赤毛と白い肌への賛辞であった。ふたりは若い恋人同士になり〔Rodriquez, pp. 56-58.〕、のちにパリで隣人同士になることになる。
またパーマーの同胞(きょうだい)は、パーマーの人生において形成力があったし、特にその兄弟であるコートランド・パーマー・ジュニア(Courtlandt Palmer Jr.)はそうであった。彼女のこの兄弟は音楽的神童であって、若くして有名作曲家の作品のほとんどすべてをピアノで演奏することができた〔Palmer-Sikelianos, pp. 13-17.〕。音楽は母の人生の一部として絶対必要であったため、パーマーの同胞(きょうだい)は全員、音楽活動に触れさせられるか、でなければ音楽活動に従事するように奨励された。パーマー自身は次に、音楽理論、コロスの編曲を自由気ままに研究することになる。
パーマーは、さまざまな全寮制学校と通学学校に、散発的かつ短期間、在学した。父は、ヴァン・タウブ学校(Van Taube School)という短命の実験的な学校を創立した。成年に達したのちパーマーは、ブライン・マウル大学(Bryn Mawr College)に通学することになる。ブライン・マウルに在学中に、パーマーは文学と演劇芸術を研究した〔Palmer-Sikelianos, pp. 19-27.〕。パーマーは、学位を取得する前に退学し、ローマにいる兄弟のパーマー・ジュニアと1年間、いっしょになることと、自由気ままに研究することを選んだ〔Palmer-Sikelianos,p. 27.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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