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エヴォラ大聖堂 (Sé de Évora)は、ポルトガル・エヴォラにある、ポルトガル有数の古く歴史的に重要な文化財の一つ。市の歴史地区の一部で、市で最も標高が高い地点にある。 1988年、ユネスコにより世界遺産に登録された。 ==歴史== 1166年、『恐れ知らずのゲラルド』(''Geraldo Sem Pavor'')によって、エヴォラはムーア人支配から解放された。すぐその後、キリスト教徒の支配者によって、聖母マリアに捧げる大聖堂の建設が始められた。この最初の建物は1184年から1204年にかけ建てられ、非常にこじんまりとしたものだった。この建物は初期ゴシック様式で1280年頃から1340年頃までかけて拡張された。その後、時代が変わるごとに大聖堂は幾度もの価値の高い付け足しをされた。14世紀のゴシックの回廊、16世紀初頭のマヌエル様式によるエスポラォン礼拝堂、18世紀初頭のバロック様式による壮麗な主礼拝堂などである。大聖堂は、中世ポルトガルで最も大きな大聖堂で、ゴシック建築の好例である。 ヴァスコ・ダ・ガマが初めて東方航海へ出発した際の旗艦旗が、1497年にエヴォラ大聖堂の最初の内陣で祝福されたと、広く信じられている。 最も重要な歴史の象徴で大聖堂を連想させるのは、エヴォラの大司教兼枢機卿であったエンリケ枢機卿王(1512年-1580年)である。彼は、ジョアン3世の実弟で、アルカセル・キビールの戦いで戦死した大甥セバスティアン1世のあとを継いで、即位した。彼が統治したのはわずか1578年から2年間だけだった。 16世紀と17世紀、エヴォラ大聖堂に多声音楽のためのエヴォラ学校が開設され、ポルトガル音楽史に重要な役割を担った。マテウス・デ・アランダやマヌエル・メンデス、彼らの生徒ドゥアルテ・ローボとフィリペ・デ・マガリャンエスら作曲家たちが、大聖堂と関係した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エヴォラ大聖堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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