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エーデルワイス海賊団 : ウィキペディア日本語版
エーデルヴァイス海賊団[えーでるう゛ぁいすかいぞくだん]

エーデルヴァイス海賊団:''Edelweißpiraten'')とはナチス政権下のドイツに存在した若者のグループである。これはヒトラーユーゲント内の厳しい統制生活に対抗した若者の自然発生的な運動としてドイツ西部で1930年代末に発生した。彼らは主に14歳から18歳のローティーンで構成されていた。当時のドイツでは、少年たちは学校を卒業(当時は14歳で卒業する)した後、ヒトラーユーゲントに入隊、17歳でドイツ国家労働奉仕団に入り、兵役に就くことになっていた〔ポイカート「ナチスドイツ ある近代の社会史」P237〕が、このグループの若者たちはこれを避けようとしていた。
彼等に類似したグループとして「モイテン」、「スウィング・ボーイ」が存在した〔ポイカート「ナチスドイツ ある近代の社会史」P236〕。これらについても併せて述べる。
==エーデルヴァイス海賊団==

====成立====
エーデルヴァイス海賊団の源流は第二次世界大戦直前に、州管轄下のヒトラーユーゲントが国家への奉仕を行うために動員され始めた時、それに対抗するものとして発生したことに由来する。
ヒトラーユーゲントは、元々はドイツにおける青少年組織を帝国青少年指導者であるシーラッハが統合したもので、青少年をナチスの主義主張へ「画一化」することを図ったものであった。ヒトラーユーゲント成立当初は、以前より存在した青少年組織の手法、リーダーを受け継いでおり、ヒトラーユーゲントへの入隊もさほど強制的ではなかった。しかし、ナチスドイツの方針としてドイツが軍国主義化し、ヒトラーユーゲントが軍隊への入隊前の準軍事組織としての色を濃くしていくにつれ、ヒトラーユーゲントへの加入を強制されるようになると、それまでユーゲントへの反感から参加しなかった青少年までが取り込まれるようになっていた。さらに、ヒトラーユーゲントは町のパトロールを行い、風紀の取締りを行ったが、これは同年代同士での監視となり、元々反発的な青少年の反感は募るばかりであった。こうしてナチスによる青少年の完全組織化は、ヒトラーユーゲントに反発的な青年の行動を先鋭化させたにすぎなかった。さらに、戦争が進むにつれて、ヒトラーユーゲントの余暇活動や旅行などがほとんど行われなくなり、さらには中止されるまでにいたった。そして、その代わりに準軍事組織化したことによる絶対服従の軍事教練が強制されるが、この訓練では主に労働者階級の子息が多かった反発的青少年らにとって無縁の中等・高等学校生のヒトラーユーゲント指導者が命令を下すことになり、彼等には耐え難いものとなっていった〔ポイカート「ナチスドイツ ある近代の社会史」P238〕。
ナチス当局は当初、これらの青少年の行動はナチス成立以前の「共産主義」、「カトリック主義」やブント系組織の大きな影響を受けていると説明していたが、1930年末から1940年代の青少年はすでにナチス政権が成立している時期に学校に通い、「ナチス的」教育の洗礼を受けているはずであった。
これについて帝国青少年指導部は1942年以下の報告を行っている。

こうして発生していった青少年グループが「エーデルヴァイス海賊団」、「モイテン」、「スウィング・ボーイ」である〔。
1930年代末、ドイツ西部で最初の「エーデルヴァイス海賊団」が発生、その他エッセンで「ファールテンシュテンツェ(小粋な旅人)」、オーバーハウゼンデュッセルドルフでは「キッテルバッハ海賊団」、ケルンでは「ナバホ」がそれぞれ発生した〔。彼等は生まれは異なるものの、エーデルワイスのバッジや服装など似通ったものを着用し、お互いに旅行やキャンプなどで知り合い、共にヒトラーユーゲントのパトロール部隊を襲撃することにより一体感を持っていた。そのため、お互いのグループが「エーデルヴァイス海賊団」の一員であると考えていた〔。
これらのグループのメンバーは主に14歳から18歳までの青少年を中心とした年齢の戦傷者、不可欠要員(戦争遂行のための不可欠な仕事に就く者)らであり、余暇や週末を楽しむために自然と集まりグループを形成した〔。
メンバーの多くは労働者階級の子息であり、義務教育を終えて就職した者が多く、学業や仕事の面での出世よりも冒険を求めていた。そして、彼等は労働を軽視してはいたが、決して働かないわけでなく、当時の平均月収100ライヒスマルク強を稼いでおり、生活的に独立していた〔。
ただし、彼等は仕事を頻繁に変えることが多く、未熟練もしくは半熟練労働者であったが、これはより高い賃金を求めているためであり、4人に1人が最低、1回は職場を変えている。そして、職場の上司と対立したり、無断欠勤をしたり、自分の気に入る仕事しかせずに自分のリズムで働くことにより、故意のサボタージュではないにしろ、その生産性を著しく阻害したりすることもあった。これについての報告書も存在する〔ポイカート「ナチスドイツ ある近代の社会史」P252〕。
海賊団のメンバーはナチスとは一線を画していたが、これは政治的コンセプトをもっていたわけでなく、単純な日常、政府の抑圧から独立することを望むものであったが、この「国内亡命」はやがてヒトラーユーゲントへの決定的な対立を行うことを望むようになって行く〔ポイカート「ナチスドイツ ある近代の社会史」P254〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Edelweiss Pirates 」があります。



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