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エール・アフリック(''Air Afrique'')(エールアフリク)は、コートジボワールのアビジャンを本拠地としていた、かつて存在した多国籍航空会社である。主に旧フランス領の諸国によって設立され、後述するようにエール・フランス等のフランスの航空会社とも関係が深かった。 ==歴史== 1961年3月28日にカメルーンの首都ヤウンデで、以下の西・中部アフリカ11カ国間でヤウンデ条約が調印された。 *ダホメ 現ベナン *オートボルタ 現ブルキナファソ *中央アフリカ共和国 *チャド共和国 *コンゴ共和国 *コートジボワール *カメルーン *ガボン *モーリタニア *ニジェール *セネガル ヤウンデ条約は、加盟国間の航空運輸の権利を扱う条約である。 加盟11カ国以外に、エールフランスとUAT(後のUTA→エールフランスに吸収合併)の合弁企業であるSODETRAFがエールアフリックに資本参加した。 加盟国の変遷は以下の通りである。 *1968年:トーゴが加盟。 *1971年:カメルーンが脱退し、カメルーン航空を設立。 *1976年:ガボンが脱退し、エールガボンを設立。 *1978年:シエラレオネが加盟した。しかし、翌年に脱退。 *1992年:マリ共和国が加盟した。 長年、コートジボワールを中心に西アフリカ地域と世界各地を結んできたが1990年代に入り経営が悪化した。 *2001年10月、旅客機差押により大幅減便。 *2002年1月11日、加盟国国家元首会談により破産申立決定。 :エールアフリックの支払停止が確認されたため、リース会社よりリースしていた旅客機2機を1月14日付でリース会社に返還。 *2002年1月14日から自社運航を停止。 *2002年4月25日に、アビジャン商業裁判所にて、正式に破産手続きに入ることが認められた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エール・アフリック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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