翻訳と辞書
Words near each other
・ オウレンセ・エンパルメ駅
・ オウレンセ県
・ オウレン属
・ オウレン末
・ オウレン湯
・ オウロウ
・ オウロプレット
・ オウロプレト
・ オウロル
・ オウロ・プレット
オウンオピニオン
・ オウンガン
・ オウンク族自治旗
・ オウンゴール
・ オウンゴール (プロレス)
・ オウン・ゴール
・ オウ・チュウ
・ オウ・テイ
・ オウ如心
・ オェングス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

オウンオピニオン : ウィキペディア日本語版
オウンオピニオン

オウンオピニオン (''Own Opinion'') とは、1980年前後に活躍したインド競走馬である。当時のインド最強クラスの馬で、インドターフ招待カップ、インドセントレジャーなどに勝った。日本では第1回ジャパンカップに出走したことで知られる。
インドでの競走成績は41戦27勝。396kg(ジャパンカップ出走時)の小柄な馬体でありながら69kgの斤量を背負い勝った事もある。同世代にロイヤルターン(32戦26勝、インド2000ギニー・ダービー)というかなり強い馬がいたが、1979年にはインドターフ招待カップでロイヤルターンを破り、さらに続くインドセントレジャーでもロイヤルターンの三冠を阻止した。その2年後の1981年、第1回ジャパンカップに招待され日本へ向かった。
日本では「インドのシンザン」の触れ込みで紹介された。
前哨戦として11月8日オープン競走(芝1800m)に出走。それまで日本の競馬外国馬が出走した例は一度も無く、記念すべき初の外国馬となった。結果は馬場が合わなかったのか大差の最下位7着に敗れた。本番のジャパンカップも日本馬が歴史的大敗を喫する中、15頭中13着に終わっている。先着した2頭はカナダのステークスウィナーであるブライドルパース、ミスターマチョであった。この時既にオウンオピニオンは全盛期を過ぎていたと言われており、インド競馬では蹄鉄を付ける習慣が無かったことから2戦とも蹄鉄を付けずに出走するなど、恵まれない臨戦態勢も結果に響いた。
以降現在に至るまで、「史上最弱のジャパンカップ招待馬」として真っ先に名前が挙がる事が多い。前述の通りジャパンカップ本番でしんがり負けだったわけではなく、実際のしんがり負けミスターマチョはオウンオピニオンの8馬身後方にいた。
== 血統表 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オウンオピニオン」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.