|
オクティヴィア・エステル・バトラー(}、1947年6月22日 - 2006年2月24日)はアメリカのSF作家。SF作家としては珍しいアフリカ系アメリカ人かつ女性であり、その民族的、性別的視点はユニークなものであると評されている〔。1995年、SF作家として初めてマッカーサー財団から「天才賞」を授与された。 == 生涯 == カリフォルニア州パサデナで生まれ育った。5人目の子供として生まれ、しかし4人の兄は早くに亡くなり、また靴磨きだった父も彼女が赤ん坊のころに喪い、祖母と女中をして稼ぐ母に育てられた。様々な人種が入り混じった地区で、苦労して成長した〔AA Registry.com profile on Octavia Butler .〕。''Norton Anthology of African American Literature'' によれば、バトラーは「厳格なバプテスト派の家族の中の唯一の子供で内省的」で「早くから ''Amazing''、''Fantasy and Science Fiction''、''Galaxy'' といった雑誌に惹きつけられ、SFの古典を読み漁るようになった」〔''Norton Anthology of African American Literature'', p.2515.〕 オクティヴィア(母も同名だったため、ジュニアを意味するジュニー (Junie) と呼ばれていた)は内向的な夢想家で、後にディスレクシアと診断された。10歳で母を説き伏せタイプライターを購入して貰い〔、「寂しさと退屈をまぎらすため」に書き始め、12歳で生涯を捧げることになるSFに目覚めた〔Voices .〕。''Black Scholar'' 誌でバトラーは「私は自作の短い物語を書いていた。12歳のとき、ひどいSF映画 ''Devil Girl from Mars'' を見ていて、これより良いストーリーを書けると思った。だからテレビを消して、書いてみた。それ以来ずっとSFを書いている」と書いている〔Essay .〕。またSFにのめり込んだ理由として、それが最も自由に創造性を発揮出来るからと述べている。 パサデナ・シティカレッジで1968年に準学士を取得後〔Octavia Butler Pasadena City College〕、1969年カリフォルニア州立大学ロスアンゼルス校に進み、さらに当時シオドア・スタージョンやハーラン・エリスンが教授を務めていたUCLAでライティング・コースを受講した。在学中様々な職業を経験し、この時の体験は『キンドレッド』に活かされている〔。 バトラーは後に「小説を書くための最良の助言」を与えてくれたとして、2つのワークショップを挙げている〔A brief conversation with Octavia E. Butler SFWA〕。 * The Open Door Workshop(1969年-1970年) - Writers Guild of America, West がラテン系およびアフリカ系の作家志望者向けに開いていたワークショップ。ここでバトラーはハーラン・エリスンと出会った。 * クラリオン・ワークショップ(1970年) - エリスンの紹介で参加。ここでサミュエル・R・ディレイニーと出会った〔Washington Post obituary, 2006/2/27 〕。 1995年マッカーサー財団より、サイエンス・フィクションと神秘主義、神話そしてアフリカ系アメリカ人の精神性の卓越した融合を讃えて「天才賞」を授与される。バトラーはこのことを謙虚に受け止め、「私は何か高貴な目的があった訳ではなく、ただ良い物語を書くことが好きなのだ」、しかし「もし私の書いたものが、他の人にとってこの世界を理解することの助けになっているのなら、それはより一層喜ばしいことだ」と述べている。〔 1999年11月、バトラーはワシントン州シアトルに移った。 バトラーは自身を「気ままで非社交的、シアトルの真ん中の隠者、不注意なときは悲観主義者、フェミニスト、黒人、元バプテスト、水と油のように野心と怠惰と不安と自信と活力の混じったもの」と評した〔TW Bookmark .〕。人種と性別のあいまい性はバトラーの作品のテーマとなっている。 2006年2月24日、バトラーはワシントン州 Lake Forest Park の自宅の外で亡くなった〔死亡記事 New York Times, March 1, 2006〕。報道では、歩道で転んで頭を打ったために死亡したとされていたが、即死ではなく頭を打ったことで脳梗塞を誘発したためともされている。また、ローカス誌(issue 543; Vol.56 No.4)によれば、逆に脳梗塞が引き金となって転んで頭を打ったとされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オクティヴィア・E・バトラー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|