|
オクトーバー・クライシス () は、1970年10月にカナダのケベック州で発生した、ケベック解放戦線 (Front de Libération du Québec, FLQ) のテロリストによる2件の政府要人拉致事件の呼称。当時のカナダ首相ピエール・トルドーが、(短期間ではあるが)戦時措置法を発動し、ケベック州とオタワにカナダ軍が展開された。 ケベック州首相のロベール・ブラッサと、モントリオール市長のが、カナダ政府に対して戦時措置法の発動を求めた。カナダ首相トルドーは1970年10月に戦時措置法を発動。強い力を与えられた警察は、分離主義者と判断した者の全てを保釈無しで留置した。 この時カナダ政府は、ケベック解放戦線のメンバーと他の過激な分離主義者、民主主義的な手法で独立を勝ち取ろうと啓蒙活動をしているケベック党党員などを区別することを拒否した 〔http://www.parl.gc.ca/information/library/PRBpubs/8427-e.htm#B.%20Abuses〕。本危機が終結した後、特に1973年にケベック党の党員リストを手に入れるために王立カナダ騎馬警察(RCMP)職員が不法に突入した事件などに対して、トルドー首相の指導による が捜査された。〔http://www.parl.gc.ca/information/library/PRBpubs/8427-e.htm〕 == 背景 == 1963年以降、ケベック州独立を唱えるケベック解放戦線によって仕掛けられた爆弾テロによって6名が死亡した。特にこの爆弾の標的となったのは、裕福なアングロフォン (Anglophone, 英語を話すケベック住民) が多く住むケベック州ウエストマウントの郵便箱であった。 1969年2月13日、で最大の爆発があり、これは負傷者27名という大規模な被害が出た。ケベック解放戦線のメンバーは、軍事施設や産業施設から盗み出した数トンのダイナマイトを保有しており、自らの広報機関 ''"La Cognée"'' を通じて更なるテロ攻撃の予告を行い、人々に脅威を与えた。 1970年までに、23名のケベック解放戦線のメンバーが逮捕・収監され、その内4名が殺人罪で有罪判決を受けた。 1970年2月26日、パネルトラックに乗った2人組がモントリオールで逮捕された。このとき彼らは、ソードオフ・ショットガン(銃身や銃床を短く切り詰めた散弾銃)と「イスラエル領事を誘拐する」という内容の声明文を持っていた。逮捕された一人はだった。 1970年6月、モントリオールから車で40分ほど北にあるローレンシャン高原の小さな町プレヴォストで、警察が民家を急襲し、火器と弾薬、136kg ものダイナマイトとその雷管、「アメリカ領事を誘拐する」というを発見した。〔http://www2.marianopolis.edu/quebechistory/chronos/october.htm〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オクトーバー・クライシス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|