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オグリキャップ(Oguri Cap、1985年3月27日 - 2010年7月3日)は、日本の競走馬、種牡馬である。「平成三強」の一頭。第二次競馬ブーム期に、ハイセイコーに比肩するとも評される〔関口2003 p.15〕高い人気を得た。 1988年度のJRA賞最優秀4歳牡馬〔JRA賞の部門名はいずれも当時の名称。〕、1990年度のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および年度代表馬〔。1991年、JRA顕彰馬に選出。愛称は「オグリ」、「芦毛の怪物」など。 1987年5月に笠松競馬場でデビュー。8連勝、重賞5勝を含む12戦10勝を記録した後、1988年1月に中央競馬へ移籍し、重賞12勝(うちGI4勝)を記録した。その活躍と人気の高さは第二次競馬ブームを巻き起こす大きな要因のひとつとなったといわれる。競走馬を引退した後は種牡馬となったが、産駒から中央競馬の重賞優勝馬を出すことはできず、2007年に種牡馬を引退した。 ※年齢は旧表記(数え年) == 誕生に至る経緯 == オグリキャップの母のホワイトナルビーは競走馬時代に馬主の小栗孝一が所有し、笠松競馬場の調教師鷲見昌勇が管理した。ホワイトナルビーが繁殖牝馬となった後はその産駒の競走馬はいずれも小栗が所有し、鷲見が管理していた。 1984年のホワイトナルビーの交配相手には笠松競馬場で優秀な種牡馬成績を収めていたダンシングキャップが選ばれた。これは小栗の意向によるもので、鷲見はダンシングキャップの産駒に気性の荒い競走馬が多かったことを理由に反対したが、最終的に提案が実現した〔ホワイトナルビーを繋養していた稲葉牧場については小栗に賛同して鷲見を説得した(渡瀬1992 pp.60-61)とも、そもそもダンシングキャップとの交配を提案したのは稲葉牧場だった(光栄出版部(編)1996 pp.101)とも、一旦は交配を躊躇したものの小栗に押し切られる形で同意した(山本1992 pp.61-65)ともされる〕。 なお、オグリキャップは仔分けの馬(具体的には馬主の小栗と稲葉牧場の間で、小栗が管理にかかる費用と種牡馬の種付け料を負担し、生まれた産駒の所有権を半分ずつ持つ取り決めがなされていた)で、出生後に小栗が稲葉牧場に対してセリ市に出した場合の想定額を支払うことで産駒の所有権を取得する取り決めがされていた。オグリキャップについて小栗が支払った額は250万円〔光栄出版部(編)1996 pp.103-104、競馬ボロボロ読本 pp.102-103〕とも500万円〔山本1992 pp.60-63〕ともされる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オグリキャップ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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