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オジジアン () とはアメリカ合衆国で生産・調教されたサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。1985年のフューチュリティステークスなどに優勝し、後に日本で種牡馬入りしている。代表産駒にはエイシンワシントンやバトルラインがいる。 なお、日本の書籍などでは当馬の名前を「オジジアン」と記述するのが一般的だが、現役時代のオーナーは「オガイジャン」と発音するのが正しいとしている〔合田直弘「全米のマスコミが震え上がった"オジジアン事件"とは」『別冊宝島340 競馬種牡馬読本2』、宝島社、1997年、48頁。〕。名前の由来は『オデュッセイア』に登場する、オデュッセウスが海の女神カリュプソーに引き止められたの島であるため、それに倣うなら「オギュギアン」となる。 == 経歴 == 1983年に生まれた牡馬で、同世代にはブロードブラッシュやモガンボなどがいる。 1985年に競走馬デビューした。2歳時は3戦3勝と無敗の成績を誇り、特にフューチュリティステークスでは2着グルーヴィに9馬身半差をつけての圧勝劇を演じ、同年のブリーダーズカップ・ジュヴェナイルを制したタッソーと並んで2歳馬トップのレーティングを与えられている。3歳時はドワイヤーステークスとジェロームハンデキャップに勝ち、通算10戦7勝・G1競走3勝の好成績で引退した。 1988年からクレイボーンファームにて種牡馬入りした。日本では重賞を2勝したエイシンワシントンの活躍でその名が知れわたるようになり、エイシンワシントンが現役で活躍中の1996年から、浦河町のイーストスタッドで供用されるようになる。その後も外国産馬としてすでに輸入されていたバトルライン、持込馬のタイキダイヤが重賞を勝ったものの、日本での産駒はジョーディシラオキが唯一の中央重賞勝ち馬と、成績は尻すぼみとなっていった。なお、日本での繋養中に左目を失明している〔Grade I Winner and Sire Ogygian Dies at 32 〕〔オールドフレンズのHPに掲載されている画像では、左目を失っていることが判る〕。 2005年、オジジアンは22歳の時に功労馬保護団体オールドフレンズによってアメリカへと買い戻された。ケンタッキー州の同施設で余生を送り、2015年3月14日に疝痛による合併症で32歳で安楽死となった。17世代の産駒からは733頭が出走し、473頭が勝ち上がった。獲得賞金は約5230万ドル。重賞勝ち馬11頭を含む23頭がステークスウィナーとなった。母の父としては史上2頭目のエクリプス賞とカルティエ賞の最優秀2歳牡馬となったヨハネスブルグを筆頭に、種牡馬成績を上回る実績を残している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オジジアン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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