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第2次オチャーコフ攻囲戦 (オチャーコフこういせん、英: The Second Siege of Ochakov, 露: Штурм Очакова) は、第二次露土戦争中の重要な戦闘の一つ。 トルコ語ではオジの戦い(土: Özi Kuşatması)として知られる。 == 経過 == 1788年、グリゴリー・ポチョムキン公爵とアレクサンドル・スヴォーロフ元帥率いるロシア帝国軍はオスマン帝国の提督ジェザイルリ・ガーズィ・ハサン・パシャの守るオチャーコフへ侵攻。スヴォーロフはオチャーコフ急襲を主張したが、ポチョムキンはこれを容れず街を包囲、砲撃を加えつつ街への補給路を断っていった。 さらにポチョムキンは兵力を温存するため直接的な戦闘を避け、死傷者を最小限に押さえようとしたが、これが臆病者として告発されることになり、この攻囲戦を通じてロシア軍司令部内では急襲策をめぐる議論が絶えなかった。 トルコ軍は包囲の突破を何度も試みた。7月27日、イェニチェリ軍団がコサック軍団を攻撃して後退させることに成功した。これに対しスヴォーロフが自ら増援部隊を率いイェニチェリをオチャーコフの城門まで追い返したが、彼自身も負傷した。 ハサン・パシャはリマンに集結しているトルコ軍からの援軍を期待していたが、この軍団はドミトリー・セニャービン元帥のロシア艦隊による攻撃を受けたのち、オチャーコフへの援軍派遣を中断してしまった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オチャーコフ攻囲戦 (1788年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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