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楽天主義(らくてんしゅぎ)とは、オプティミズム(optimism)の訳語の一つ。楽観主義(らっかんしゅぎ)ともいい、哲学上では最善説(さいぜんせつ)と訳される。対義語は悲観主義(ペシミズム)。 ドイツのライプニッツの予定調和を主張する最善説に由来する。ライプニッツは、現実世界は可能なすべての世界の中で、最善のものであると考えた。かれはまず想定可能なすべての世界を考える。しかし、このうち、内部に論理的な矛盾を孕む世界はそもそも現実化可能ではない。そこで、この共可能的な事象の組み合わせからなる複数の可能な世界のうち、どのような世界が(神によって)実現されたかが問題となる。そこで、かれは、神は定義に善なるものであることが含まれているのだから、選択された世界は最善であったはずだ、と主張した〔このような主張は、存在しないよりも存在するほうが善いという仮定に立つものであるとイギリスのバートランド・ラッセルは論評している〕。 フランスのヴォルテールは匿名で発表した小説「カンディード」で最善説を揶揄・批判したが、ライプニッツは、現実世界が、すばらしい場所である、またはすばらしいことが起きる傾向がある、ということを述べているのではなく、「現実は起こりうることの中では一番マシである」と主張しているのである。ひとが想定するよりよい世界は、人間の限定された知性と知識では認識できない、何らかのそれを補う悪や、あるいは、現実化を阻む論理的な自己矛盾を持っているのだ、ということである。ただし、この最善たる「現実の世界」は「現在」とイコールではないため、進歩や改良の可能性が否定されているわけではない。したがって、むしろ、起きたことは必然であった、というような納得と近い〔ヘーゲルの「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」という言葉も、その意味するところは、理念が活動的であるということであって、またあらゆる存在が現実であるということではなく、その一部だけが偶然的な現象とは区別されるところの現実の名に価するということである〕。 プラトン、アウグスティヌスなども善を積極的な存在と見なすところは楽天主義(最善説)的である。すなわち、善に、何らかの意味で、存在論的優位を認めた、という点ではそういうことも可能ではある。もっとも、このような意味でオプティミズムという用語を使うことは必ずしも一般的ではない。 アメリカ合衆国で生まれた思想であるニューソートはきわめて楽天主義的である。この思想は現代の成功哲学でよく説かれるプラス思考(ポジティブ・シンキング)などに影響を与えている。 グラスに半分残った水を見て「まだ半分もある」と言うのは楽天主義者、「もう半分しかない」というのは悲観主義者という有名な性格判断法がある。これは英語ではGlass Half Empty or Half Full? という定番の言い回しになっている。ジョージ・バーナード・ショーの格言による。 井上ひさしは楽観主義者を「ドーナツの輪を眺める人」、悲観主義者を「ドーナツの穴を眺める人」といい、自分は前者だという〔扇田昭彦『井上ひさし』(白水社 2011年p.90)。〕。 ==関連項目== *ポリアンナ症候群 *「レット・イット・ビー』 - ビートルズの曲の一つで楽観でも悲観でもなく「あるまがまま」を歌う 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「楽天主義」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Optimism 」があります。 スポンサード リンク
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