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オマール・リナレス : ウィキペディア日本語版
オマール・リナレス

オマール・リナレス・イスキエルドOmar Linares Izquierdo , 1967年10月23日 - )は、キューバ出身の元野球選手。内野手一塁手三塁手)、右投げ右打ち。日本プロ野球中日ドラゴンズでは主に一塁手としてプレーした。
== 来歴・人物 ==
スポーツ専門学校のスポーツイニシエーションスクール出身。-シーズンにわずか15歳でキューバの国内リーグ"セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル"デビュー。これはほとんど例がないくらいの抜擢であった(通常、毎年各州数人級のトップクラスが18歳、年に国内数人の大物が17歳、稀に16歳で出場する例がある)。
17歳の時にキューバ代表入りをした。これも非常に珍しく、以降の例ではのユリエスキ・グリエルのみで、10代での代表入りまで広げて見ても、2000年以降の例では2002年のケンドリス・モラレス(18歳)、のフランク・モンティエ、のヤディエル・ペドロソ、のアロルディス・チャップマン(いずれも19歳)しかいない。
以後、リナレスは3番・サードとしてオレステス・キンデランアントニオ・パチェコ(ともに元シダックス)らと共に世界選手権4連覇、バルセロナアトランタ五輪連覇などキューバ代表の主軸として国際大会で活躍。都度々対戦した日本の野球関係者が「エラーしたのを見たことがない」と言うほど三拍子揃った選手として知られ、「キューバの至宝」と称された。
読売ジャイアンツ長嶋茂雄監督が来日を熱望したことから「ミスターの恋人」としても話題もなった。キューバの選手の解禁が噂されたアトランタオリンピック後に「長嶋さんのいる巨人でプレーしたいです」とこっそり手紙を書いていた。巨人のフロントも1996年3月にフィデル・カストロ国家評議会議長とコンタクトを取るなど、積極的にパイプ作りに励んでいた。巨人戦は日本に来た時にテレビ観戦をする機会が多く、リナレスは「監督としての采配ぶりが凄い」と語っていた。また、日本遠征時にテレビ番組の企画で草野球チームとエキシビジョンゲームを行った際にも相手選手から「ぜひ巨人入りして下さい」と言われたことがある。
、アトランタオリンピックでキューバと対戦した日本代表の福留孝介(共に後の同僚)は、三塁の守備に就いていた際に見たリナレスの打球を「それまで見たことのないほど(打球が)速かった」と後に語っており、全盛期の実力をうかがうことができる。国内リーグでは-(.409)、1985-(.426)、-(.442)、-(.386)、1992-(.446)シーズンと計5度の首位打者を獲得した。
ナショナルチームの世代交代に伴い代表を引退し、国内リーグも次のシーズンを最後に引退した。キューバで完全に引退してオフだった同年6月、日本プロ野球のシーズン途中より電撃的に中日ドラゴンズに入団。報酬額としては日本にして年600万円ほどであったが、これは社会主義国出身の選手に高額の年俸を支払えない事情に加え、報酬とは別にキューバの球場改装費用(ラバーフェンス設置)を中日球団が受け持ったという事情が挙げられる。なお、2007年に中日球団はこの改装に携わった記念として、カストロ議長のメッセージと球団ロゴの入ったフェンス用ステッカーを贈呈している。
来日前のインタビューで当時の日本のシーズン本塁打最多記録の55本について「それだけなの?」と半ばあざ笑うかのように自信を見せていたが、中日在籍時には既に30代半ばで全盛期よりも太り、往年のバッティングはすでに影を潜めていた。2004年の優勝には守備に長けている渡邉博幸と共に、ファーストとして活躍。日本シリーズでは西武ライオンズに敗れはしたものの、2本塁打を放つなど活躍し、一発勝負での強さを見せた。なおかつヒットはすべて初球打ちであった。同年オフに構想外となり現役を引退した。
中日球団はリナレス解雇の発表後「今後はキューバと日本の橋渡し役を担ってほしい」とコメントしていたが、当のリナレス本人が帰国後音信不通状態になっていた。しかし、に行われた世界大学野球選手権において、キューバチームの打撃コーチとして6年ぶりに来日。また、7月後半の中日対巨人(東京ドーム)での試合前練習を訪れ、岩瀬仁紀ら自身が所属していた時の選手達との再会を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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