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オラフ・ヘンリクセン : ウィキペディア日本語版
オラフ・ヘンリクセン

オラフ・ヘンリクセン(Olaf Henriksen、1888年4月26日 - 1962年10月17日)は、主に1910年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは外野手デンマーク・キルケルップ生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは"Swede"(スウェード:スウェーデン人の意)。ただ一人のデンマーク出身のメジャーリーガーで、1910年代のボストン・レッドソックスで3度のワールドシリーズ制覇を経験した。
== 来歴・人物 ==
デンマークのシェラン地域の出身で、アメリカに移住した経緯などはよく判っていない。1911年にマイナーのニューイングランドリーグでプレーしている所を見出され、同年ボストン・レッドソックスに入団。以後1917年まで7年間レッドソックスに在籍した。
ヘンリクセンは外野手だったが、当時レッドソックスの外野はダフィー・ルイスハリー・フーパートリス・スピーカーの不動の3人で固められ、レッドソックスでは主に代打と、外野の控えとしての役割を担っていた。小柄で長打が少ないながら出塁率が高く、1911年から1914年の4年間の出塁率はいずれも4割を超えた。ワールドシリーズ制覇も3度経験しているが、1912年のワールドシリーズでは、最終戦で代打で出場し、相手ジャイアンツのクリスティ・マシューソンから同点の二塁打を放つ活躍も見せた。
怪我などもあって、1917年シーズン途中でマイナーに降格し、再びメジャーに上がることはなかった。選手引退後はボストンカレッジの監督をつとめたこともある。1962年にマサチューセッツ州で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オラフ・ヘンリクセン」の詳細全文を読む



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