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オリゲネス(Origenes Adamantius, 182年? - 251年)は、古代キリスト教最大の神学者。いわゆるギリシア教父とよばれる神学者群の一人で、アレクサンドリア学派といわれるグループの代表的存在。『諸原理について』(De Principiis)など膨大な著作を著したが、死後異端の疑惑をかけられたため、多くの著作が処分された。キリスト教の教義学を初めて確立し、その後の西欧思想史に大きな影響を与えたと評される。 ==生涯== オリゲネスの生涯はエウセビオスの『教会史』に詳しい。 アレクサンドリアの裕福なキリスト教徒の家庭で七人兄弟の長男として生まれたオリゲネスは、幼い頃から父レオニデスについて聖書を学んだ。セプティミウス・セウェルス帝のキリスト教徒迫害のさなかに、父が殉教。一族の財産も没収されたが、オリゲネスの才能を惜しんだ篤志家の援助を受けて勉学を続けることができたため、アンモニオス・サッカスという学者に師事してギリシア哲学を学んだ。 エウセビオスは、オリゲネスがアレクサンドリアに滞在していたクレメンスに学んだと記している。キリスト教が迫害されていたにもかかわらず、オリゲネスはアレクサンドリアにディダスカレイオンというキリスト教学校を開設してそこで教えた。迫害が終わったあと、同学校は主教(司教)の正式な認可を得て発展し、アレクサンドリア学派の拠点となった。 しかしオリゲネスの名声をよく思わないアレクサンドリアの主教(司教)デメトリオスとの間でトラブルが起きたため、パレスティナへ移り、カイサリアで同じようなキリスト教学校を開設した。オリゲネスは福音の精神を完全に生きようと自ら去勢していたという説もあるが、真相はわからない。 249年、デキウス帝による迫害のさなかに捕えられ、獄に投じられた。皇帝の死によって迫害が終わった後で解放されたが、獄中で体調を崩しており、まもなく亡くなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オリゲネス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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