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オリスカニーの戦い[おりすかにーのたたかい]
オリスカニーの戦い ()は、アメリカ独立戦争中の1777年8月6日にニューヨーク州オリスカニーで起こったアメリカ大陸軍とイギリス軍との戦いであり、サラトガ方面作戦における激戦の1つとされる。スタンウィックス砦包囲戦序盤において、ニコラス・ハーキマー率いる救援部隊は、モホーク川流域のトライアン郡民兵およびオナイダ族のおよそ800名から構成され、包囲を解くために砦に接近していた。イギリス軍司令官のバリー・セントリージャーは、ハーナウからの猟兵(軽歩兵)分遣隊、ジョン・ジョンソンのニューヨーク王室連隊、イロコイ連邦や北部と西部の同盟インディアン、およびインディアン部レンジャーズで構成される妨害部隊を編成し、総勢は少なくとも450名になった。 イギリス部隊はスタンウィックス砦の東約6マイル (10 km)、現在のオリスカニーの村近くにある小さな谷で、ハーキマーの部隊を待ち伏せた。この戦闘で大陸軍側に約450名の損失を出させ、一方イギリス側もロイヤリスト、インディアン合わせて約150名が戦死あるいは負傷した。戦術的にはイギリス部隊の勝利となったが、その部隊が居ない間に、スタンウィックス砦から出撃した大陸軍部隊がイギリス側宿営地を襲ったために、特にインディアンの士気を落としたことから、その功罪は曖昧な形になった。 この戦闘は参戦者がほとんど全て北アメリカの住人であるということでは数少ない戦闘の1つである。すなわち、ロイヤリストとインディアン対パトリオットという構図であり、イギリス正規兵が参戦していなかった。イロコイ連邦にとっては内乱の開始を意味しており、カーネル・ルイスとハン・イェリーが指導するオナイダ族がアメリカ側に付き、他のイロコイ連邦部族と争うようになった。 == 背景 ==
1777年6月、ジョン・バーゴイン将軍の指揮するイギリス軍がケベック植民地から2方面の攻撃を掛けてきた。バーゴインの目標はハドソン川流域の支配権を奪うことで、ニューイングランドとその他の植民地を分離することだった。その主力はバーゴインが指揮してシャンプレーン湖を南に下った。2つめの部隊はバリー・セントリージャー中佐の指揮でモホーク川流域を下り、オールバニ近くでバーゴイン本隊に合流することが目指された〔Ketchum (1997), p. 84〕。 セントリージャーの遠征隊は総勢約1,800名であり、イギリス正規兵、ドイツのハーナウからの猟兵、ロイヤリスト、インディアンおよびレンジャーズの混合だった。この部隊はセントローレンス川を上り、オンタリオ湖岸からオスウェゴ川に進んでオナイダ陸送路(現在のニューヨーク州ローム)まで登ってきた。その陸送路を守っていたのが大陸軍のスタンウィックス砦であり、セントリージャー隊は砦を包囲した〔Nickerson (1967), pp. 195-199〕。
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