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オリンピック東西統一ドイツ選手団 : ウィキペディア日本語版 | オリンピック東西統一ドイツ選手団[おりんぴっくとうざいとういつどいつせんしゅだん]
オリンピック東西統一ドイツ選手団は、当時分裂状態にあった東ドイツと西ドイツが合同で派遣したオリンピック選手団の総称。1956年のコルティナダンペッツォオリンピックから1964年の東京オリンピックまでの3大会に参加した。この選手団はフランス語ではと呼ばれ、当時日本語では「統一ドイツ」もしくは単に「ドイツ」と称された。国旗は黒・赤・金のドイツ国旗をもとに中央に五輪マークがついている特別な旗を使用し、表彰式での国歌演奏時はベートーヴェンの交響曲第9番の歓喜の歌をそれぞれ使用した。 == 概要 == 東西統一ドイツ選手団は合同で選手団を派遣したものの、選手およびチームは必ずしも合同チームというわけではなかった。個人種目に関しては選手を選抜し派遣したが、団体種目では東西ドイツの2チームで試合をし勝利したチームを派遣したケースが多かった。このため団体種目では表向き東西統一ドイツという名称であっても、実際には東ドイツもしくは西ドイツどちらかのチームであった。 最も多くメダルを獲得した夏季オリンピックは、1964年東京オリンピックの50個。冬季オリンピックは同年インスブルックオリンピックの9個であった。また、最も多くのメダルを獲得した夏季オリンピック競技は陸上競技の30個、冬季オリンピック競技はリュージュとアルペンスキーの5個であった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オリンピック東西統一ドイツ選手団」の詳細全文を読む
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