翻訳と辞書 |
オルキュニアの戦い[おるきゅにあのたたかい]
オルキュニアの戦い(Battle of Orcynia)は紀元前320年もしくは紀元前319年にエウメネスとアンティゴノスとの間で戦われた会戦である。
== 背景 == 大王と称され、ペルシアを征服したマケドニア王アレクサンドロス3世の死後、その部将たちの間で勢力争いが起こった。アンティパトロス、プトレマイオス、クラテロスといった諸将は幼い王を擁してアレクサンドロス亡き後の最高権を握ったペルディッカスに対して警戒心を抱き、彼との戦争を始めた。ペルディッカスは紀元前321年にプトレマイオスの拠るエジプトに攻め込んだものの、不手際によって配下の将軍達(セレウコス等)に見限られて暗殺され、同年に新体制を決定するトリパラディソスの軍会が開かれた。その席でペルディッカス派はマケドニア人の敵として死を宣告され、アジア軍の総司令官としてアンティゴノスがその討伐の任についた〔ディオドロス, 39〕。アンティゴノスはその冬に軍を集め、手始めにペルディッカスの盟友の一人でカッパドキアに勢力を持っていたエウメネスへと軍を進めた。 エウメネスは紀元前321年のヘレスポントスの戦いでクラテロスを破って武功を上げていたが、マケドニア人から尊敬を集めていたクラテロスを殺したことでマケドニア人から嫌われており、この時もペルディッカスという名の部将(前述のペルディッカスとは別人)が配下の兵と共に寝返ろうとした。この動きに対してエウメネスはテネドス人フォイニクスを急派した。フォイニクスはペルディッカスに夜襲を仕掛けて彼を生け捕りにしてエウメネスの許まで連れて行き、エウメネスは首謀者を処刑して事態を収拾した〔ibid, 40〕。その後、カッパドキアに攻め込んできたアンティゴノスをエウメネスは迎え撃ち、両者の間で戦いが起こった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オルキュニアの戦い」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|