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オルティガーラ山の戦いとは、1917年6月10日から6月25日にかけてアジアーゴ高原にあるオルティガーラ山でイタリア王国とオーストリア=ハンガリー帝国が行った戦い。 ==経緯== イタリアは前年のアジアーゴの戦いの結果、押し返したとはいえ依然としてオーストリア=ハンガリー軍が幾つかの国境拠点を押さえている事を憂慮していた。それらは新たな反撃がオーストリア=ハンガリー側によって行われる際、不利な要素になる事が予想されていた。イタリア陸軍は憂いを絶つ為にそうした拠点の中で特に重要であったオルティガーラ山の奪還を試みる事にした。 この戦いでイタリア側は30万名の兵員と1600門の砲兵を2、3kmの範囲に集中させて投入した。オーストリア=ハンガリーに対して大きな数的有利を得ていた反面、不利な部分も存在した。 * オーストリア側の陣地は有利な場所に築かれていた。 * オーストリア側の砲兵隊にとって戦闘隊形が有利な状態になっていた。 * 狭い戦線に膨大な戦力を投入したことが、逆にイタリア側の行軍を難渋させてしまった。 * オーストリア側は攻撃を予測していたため、奇襲の効果がなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オルティガーラ山の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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