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オルバースのパラドックス (Olbers' paradox, Olbers's paradox) とは「宇宙の恒星の分布がほぼ一様で、恒星の大きさも平均的に場所によらないと仮定すると、空は全体が太陽面のように明るく光輝くはず」というパラドックスである。 オルバースの逆説、逆理、背理などともいう。 このパラドックスの帰結は、星は距離の2乗に反比例して見かけの面積が小さくなるが、距離が遠い星の数は距離の2乗で増えるので、これらはちょうど打ち消しあい、どの方向を見てもいずれかの星のまばゆい表面がみえるはずだという推論に基づく。 現在では、そのために必要な距離や時間あるいは星の密度は、実際の宇宙の大きさ・年齢・密度よりおよそ10兆倍も大きなものとなることが明らかとなったため、パラドックスの前提は成立しないことがわかっている。 ==概説== ===パラドックスの内容=== ガリレオが始めに見出したように、夜空を望遠鏡で観察すれば、肉眼では見ることのできなかった暗い星を多数見ることができ、星の世界は遥か彼方まで広がっているように思える。 一方、こうした星は空を覆い尽くすことなく、その間には遥かに広い暗闇が広がっているのもわかる。 16世紀ごろより20世紀の初めまで天文学者は宇宙が無限に広がっているのではないかと想定してきたが、そのときこうした広大な宇宙では全体が太陽面のように輝くはずであり、夜空の暗闇という観測事実と相容れない謎であることを示したのがオルバースのパラドックスであった〔ハリソン (2004) pp.13-15.〕。 もし宇宙が無限に広く一様に星が分布しているのなら、地上から空を見上げた視線は、やがていずれか星の表面にほぼ間違いなくたどり着くだろう。 この直観は次のような考察からより明確となる。 ある物が視野の中に占める見かけの面積は、その物が遠ざかるほど小さくなり、倍の距離となればその見かけの面積は1/4となる。 このとき見かけの面積あたりの明るさは同じであり、明るさもまた1/4となる。 この事情は恒星でも同じである。 例えば、もし地球から100光年の距離にある星が倍の200光年に遠ざかれば、見かけの面積と明るさは1/4となる。 その一方で、距離100光年付近(例えば前後1光年)にある星の数と、その倍、200光年の同じ幅にある星の数とを比べると、後者はほぼ4倍の体積を考えていることになり、星が宇宙にほぼ一様に分布しているなら、後者にはほぼ4倍の数の星が含まれているだろうと考えることができる。 さらに星の大きさも場所によらないと考えれば、結局、100光年付近の星すべての見かけの面積の総和と、200光年付近にあるの星すべての見かけの面積の総和は、ほとんど変わらないと期待することができる。 このことは、どんな距離を考えても一般に成り立つ。 すなわち、''n'' 倍の距離を考えれば、星の見かけの面積は 1/''n''2 倍となる一方で、考えている領域の大きさは ''n''2 倍となるので、結局、星全体の見かけの面積は距離に依存しない(右上の模式図を参照)。 よって、宇宙が十分大きければ、よほど星が特殊な配置をしていない限り、より遠い距離までの星を考えるとともに空は星の表面によって一定の割合で埋め尽くされていかなければならないことになる。 このとき、見かけの面積あたりの明るさは距離によらないので、恒星がどれも太陽と同じ程度に輝いているとすれば、空は太陽表面のようなまばゆい光で覆い尽くされる。 この明るさは、我々が太陽表面まで降りていったときの明るさと考えることもできる。 結局、宇宙の構造が場所によらない、すなわち宇宙の恒星の分布がほぼ一様で、光度も大きさも平均的に場所によらないという妥当と思われた仮定をおくと、無限もしくは十分に大きな宇宙では、実際の夜空の背景がなぜ暗いのか説明が必要な事柄となる〔ハリソン (2004) pp.115-117.〕。 この議論はまた、しばしば平坦な森の中でみる木々の幹に例えられる〔ハリソン (2004) p.17.〕。 森は2次元に広がるので、森の中の観測点からある距離にある木々の数は距離に比例して(距離の1乗で)増えるが、その幹の見かけの幅も反比例(逆1乗)で小さくなり、各距離での幅の合計は距離によらないと期待される。 小さな林ならば、木々の幹の隙間から向こう側の風景を望むことができるが、木々が偏りなく分布しているのなら、ある程度大きな森では周囲は様々な距離にある木々の幹で覆いつくされ、森の向こうを見通すことができない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オルバースのパラドックス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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