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オレグ・シェーニン オレグ・セミョーノヴィチ・シェーニン(シェニン、、ラテン文字表記の例:、1937年7月2日 – 2009年5月28日)は、ソビエト連邦およびロシアの政治家。ヴォルゴグラード州出身のロシア人。ゴルバチョフ時代末期のソ連共産党政治局員兼書記。ソ連崩壊後に創設されたソ連共産党(シェーニン派) Communist Party of the Soviet Union (Shenin)の指導者。1993年から2001年にロシア連邦共産党を離党するまで、共産党同盟・ソ連共産党 、Union of Communist Parties — Communist Party of the Soviet Union,UCP-CPSUの共同議長。ロシア連邦共産党のゲンナジー・ジュガーノフ党首とは、ロシア・ベラルーシ両共産党の統合を巡り路線対立を起こした。 == 来歴・人物 == クラスノヤルスク鉱業技術中等専門学校を経て、トムスク土木技術大学を卒業する。1955年からクラスノヤルスク地方の建設企業に勤務するようになり、1962年ソ連共産党に入党する。1964年建設企業(トラスト)所長となる。 1974年から党専従となり、アチンスク市党第一書記、ハカシア州(現在のハカス共和国)党第二書記を歴任する。1980年アフガニスタンに赴任し、ナンガルハール州、ラグマーン州、クナル州で地域顧問を勤めた。1985年ハカシア州党第一書記を経て、1987年クラスノヤルスク地方党第一書記に就任する。この間、ソ連共産党中央委員会社会科学大学院を修了している。ゴルバチョフによって人民代議員大会が連邦と地方レベルで設立されると、1987年クラスノヤルスク地方人民代議員大会議長に選出された。1989年ソ連共産党ロシア・ビューロー委員。同年から1991年までソ連人民代議員に選出された。 1990年7月14日ソ連共産党中央委政治局員・書記に選出される。シェーニンの当時の政治的立場は、あくまでソ連共産党とソビエト連邦の国家体制維持を念頭におく保守派のそれであった。1991年ソ連8月クーデターで国家非常事態委員会のメンバーであったアレクサンドル・チジャコフソ連産業・建設・運輸・通信・国家企業・企業合同協会会長は「ゴルバチョフ後」を念頭においた「暫定委員会」リストを作成したが、シェーニンは、暫定委員会議長としてリストの筆頭に名を連ねられた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オレグ・シェーニン」の詳細全文を読む
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