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オンム・セティ(Omm Sety)(本名ドロシー・イーディー)1904年 - 1981年はイギリス生まれのエジプト考古学者である。 == 略歴 == === 幼少~学生時代 === 〔ピーター・ジェイムズ『古代文明の謎はどこまで解けたかⅢ』太田出版〕3歳当時、ロンドンに在住していたドロシー・イーディーは階段から転落し、意識不明状態に陥る。駆けつけた医者により一度は「死亡」と認定されるも、すぐに息を吹き返す。この事件をきっかけに、ドロシーは毎晩同じ夢を見るようになった。その夢の中には、果実のなった樹木がたくさんある庭と石の柱がたくさんある建物が頻繁にあらわれた。両親に何度否定されても、ドロシーは夢の中に出てくる世界が自分の故郷であると主張するようになった。 4歳になり、大英博物館を訪れたドロシーは、そこで運命の出会いを果たす。エジプト展を訪れたドロシーは、ガラスケースに入ったミイラの側から離れなくなり「この人達は私の仲間なのよ」と言い張るようになり、両親を困惑させた。また数か月後には、父親が買って帰った百科事典のロゼッタストーンの項目を読みふけり、自分はこの碑文の言語を知っていると主張し始める。 7歳になると、雑誌に掲載された古代エジプトの写真にアビュドスにあるセティ1世の神殿を見つけたドロシーは「ここが私の家よ!ここに住んでいたの!」と叫び「でも、どうしてみんな壊れているの?庭はどこ?」と不思議そうに尋ねた。 成長するにつれて、ドロシーは自分が前世で古代エジプト人だったという確信に取り憑かれるようになり、転生問題を扱うグループにも参加するようになった。集会での討論には満足いかなかったイーディーは、十代の前半からエジプト学を学び始めた。古代エジプト美術研究のパイオニアとなったウォーリス・バッジはドロシーに目をつけ、学業そっちのけでやってくる彼女にヒエログリフを教えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オンム・セティ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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