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オーストリア継承戦争[おーすとりあけいしょうせんそう]
オーストリア継承戦争(オーストリアけいしょうせんそう、, , , 1740年 - 1748年)は、神聖ローマ皇帝位およびオーストリア大公国(ハプスブルク君主国)の継承問題を発端に、ヨーロッパの主要国を巻き込んだ戦争。カナダやインドで英仏間の戦争にも発展した。 == 背景 ==
神聖ローマ皇帝カール6世は男子に恵まれず、長年後継者に悩んでいた。そこで娘のマリア・テレジアにハプスブルク家領(オーストリア)を継がせるため、女子の相続を認めるプラグマティッシェ・ザンクツィオン(国事詔書)を発布し、いくらかの譲歩を行ってフランスなど欧州主要国にこの詔書を認めさせた。またハプスブルク家は伝統的に神聖ローマ皇帝を世襲してきたが、女子は帝位に就けないので、マリア・テレジアの夫トスカーナ大公(元ロレーヌ公)フランツ・シュテファンの即位を要求した。しかしルイ15世のフランス宮廷は、ハプスブルク勢力を弱体化させる絶好の機会として背後で画策し、攻撃を仕掛けた。これがオーストリアと周辺諸国の間での戦争に発展した。 主にオーストリアを支援したのは、フランスと対立するグレートブリテン王国(イギリス)とネーデルラント連邦共和国(オランダ)であった。後にザクセンとサルデーニャもオーストリアの側で参戦した。これと敵対する側に立ったのはプロイセン、フランス、スペイン、バイエルンであった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーストリア継承戦争」の詳細全文を読む
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