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オーストロネシア人またはオーストロネシア系諸族(Austroneian peoples、Austronesian spaeking peoples)とはオーストロネシア語族を話す民族の総称である。台湾先住民、フィリピン諸民族、メラネシア人、ミクロネシア人、ポリネシア人等が含まれる。卓越した航海技術によって、東南アジアから太平洋諸島、マダガスカルへと分布を広げた。 == 起源と拡散 == オーストロネシア祖族は東アジアのモンゴロイドで、約6000年前に中国南部、現在の福建省付近から台湾へ渡ったとされる〔Kun, Ho Chuan (2006). "On the Origins of Taiwan Austronesians". In K. R. Howe. Vaka Moana: Voyages of the Ancestors (3rd ed.). Honolulu: University of Hawai'i Press. pp. 92–93〕。 この時に一部のグループは黒潮や対馬海流に乗って日本列島にも渡っており、特に沖縄県、鹿児島県、宮崎県や和歌山県南部、三重県、愛知県、静岡県南西部などに彼らの末裔が多いと言われている〔『日本語形成の謎に迫る』(新泉社、1999年)〕(隼人や南島系海人族)。HLAハプロタイプはB54-DR4がこの流れを示している〔徳永勝士 (1995)「HLA遺伝子群からみた日本人のなりたち」『モンゴロイドの地球(3)日本人のなりたち』東京大学出版会,第4章,遺伝子からみた日本人,p193-210〕。ちなみに日本語は文法がアルタイ諸語のものであるが、音韻体系はポリネシア語の属するオーストロネシア語族と共通している部分がある。 いっぽうで台湾からは5000年前以降に一部がフィリピンやインドネシア方面へ拡散し〔ピーター・ベルウッド (1989)「太平洋 ―東南アジアとオセアニアの人類史―」植木武・服部研二 訳 東京:法政大学出版局〕〔ピーター・ベルウッド(2008)『農耕起源の人類史』長田俊樹・佐藤洋一郎 訳 地球研ライブラリー no. 6 京都:京都大学学術出版会〕、紀元前2000年頃にインドネシアのスラウェシ島、ボルネオ島に到達した。 ボルネオ島の集団の一部はスンダ海峡を横断し、遠くマダガスカルへ達した。彼らは直接マダガスカル島まで航海した可能性が強く、この2つの島の間は4,500海里(8,300km)も離れているが、常に貿易風が追い風となる航海であるため、当時の東南アジア島嶼部の海民の技術レベルならば充分に現実的な航海である。 スラウェシ島のグループはここからニューギニア島海岸部、メラネシアと東進し、その間にオーストラロイドの先住民(パプア人、メラネシア人)と混血し、ポリネシア人、ミクロネシア人の始祖となる。彼らは紀元前1100年頃にはフィジー諸島に到達する。 現在、ポリネシアと呼ばれる地域への移住は紀元前950年頃からで、サモアやトンガからもラピタ人の土器が出土している。 サモアに到達した時点 でポリネシア人の東への移住の動きは一旦止まるのだが、紀元1世紀頃から再び移動を開始し、ポリネシア人たちはエリス諸島やマルキーズ諸島、ソシエテ諸島にまず移住した。その後、ソシエテ諸島を中心に300年頃にイースター島、400年頃にハワイ諸島、1000年頃にクック諸島やニュージーランドに到達した。ポリネシア人の移住の動きはこれ以降は確認されていないのだが、ポリネシア人の主食のひとつであるサツマイモは南米原産であり、西洋人の来航前に既にポリネシア域内では広くサツマイモが栽培されていたため、古代ポリネシア人は南米までの航海を行っていたのではないかと推測されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーストロネシア人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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