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オースミハルカとは日本の競走馬である。快速の逃げで中央競馬の重賞を4勝し、主戦騎手川島信二とのコンビで人気を博した。半弟に新潟大賞典の優勝馬オースミグラスワンがいる。 == 戦績 == 2002年、札幌の新馬戦でデビュー。2年目の若手騎手・川島信二を背に優勝した後、クローバー賞、すずらん賞とオープン特別を連続して3着。秋になって500万下条件戦を勝利して2勝目を挙げると、オリビエ・ペリエを鞍上にGI阪神ジュベナイルフィリーズに出走し、3番人気に支持されたが7着に敗れた。 2003年はチューリップ賞から始動。中団よりやや前で競馬を進め、後の牝馬三冠馬・スティルインラブ、シーイズトウショウらを抑えて勝利する。しかしその後の桜花賞では6着、5戦振りに川島が騎乗した優駿牝馬(オークス)では10着と敗れた。その後クイーンステークスに出走。7番人気と低評価であったが、ファインモーション、テイエムオーシャンといったGI馬を向こうに初の逃げ戦法を取り、ファインモーションの追走をクビ差凌いで重賞2勝目を挙げた。秋はそのまま秋華賞に向かったが6着、続いて出走したエリザベス女王杯ではレース中に右前脚を骨折し、長期休養を余儀なくされた。 翌2004年6月、愛知杯で復帰したが最下位の18着と惨敗。しかし続くオープン戦を2着と逃げ粘り復調の兆しを見せると、前年制したクイーンステークスに出走して逃げ切り勝ちを収め、同レース二連覇を果たした。続く府中牝馬ステークスも勝利し2連勝。有力馬の一頭としてエリザベス女王杯に再挑戦した。レースでは二番手から抜け出して粘ったが、ゴール寸前でアドマイヤグルーヴにかわされて2着となった。その後出走した阪神牝馬ステークスでは、1番人気に推されたが9着に敗れる。 5歳になり春秋1走ずつを使って三度出走したエリザベス女王杯では、観衆からどよめきが起こるほど後続を大きく離しての逃げを打ち、10馬身近いリードを保って直線に向いたが、勝利したかと思われた瞬間、今度はスイープトウショウにまたしてもゴール寸前で差し切られ、2年連続の2着となった。年末は有馬記念に出走し15着。翌年も現役を続行し、引退レースとしてヴィクトリアマイルを目標に調整されていたが、前哨戦の京都牝馬ステークスで8着に敗れ、予定を変更してこの競走を最後に競走馬を引退、繁殖入りとなった。 全22戦中17戦で手綱を取り、3つの重賞を手にした川島はオースミハルカを「ハルちゃん」と呼び、「お姫様のようです」と溺愛していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オースミハルカ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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