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オーラヴ5世(,1903年7月2日 - 1991年1月17日)は、ノルウェー国王(在位:1957年 - 1991年)。 == 生涯 == デンマーク王フレデリク8世の次男であったデンマーク王子カールと、イギリス王エドワード7世の三女モードの長男としてイギリスで生まれ、アレクサンデル()と名付けられた。1905年に父がノルウェー王に選ばれ、ノルウェー風にホーコン7世を名乗った際、アレクサンデルも同じくノルウェー風にオーラヴ()と改名された。以後オーラヴは第一王位継承権者としてノルウェーで育てられた。 1924年にノルウェー陸軍士官学校を卒業した後、オックスフォード大学ベリオール・カレッジで法学と経済学を学んだ。1929年にスウェーデン国王オスカル2世の三男ヴェステルイェートランド公カールの次女で、父方の従姉にあたるマッタと結婚した。2人の間にはラグンヒル、アストリッド、ハーラル5世と1男2女が生まれた。 アスリートとしても知られ、1928年のアムステルダムオリンピックではセーリングで金メダルを獲得している。また、スキージャンプも行っていた。 第二次世界大戦中は父王とともにイギリスに亡命しつつナチス・ドイツに抵抗し、ノルウェーの解放後に帰国した。1957年、父の死去により王位を継承した。即位した後はその誠実な性格から「国民の王」として庶民から愛された。オーラヴ5世は国王であるにもかかわらず自分で自動車を運転することを好み、自ら公道を運転してスキー場に向かう姿などが良く見かけられた。 しかし1973年のオイルショックの時、ノルウェー国民は特定の週末は運転禁止と定められてしまった。それらの週末でも王族は運転が可能であったものの、自らが国民の模範であるべきとの信念を持っていた王は、運転禁止期間中にスキー場に向かう時は普通の国民と同じようにスキーウェアを着用し、スキー板を自分の肩に担ぎ、公共鉄道を利用してスキー場に向かった。そういった時もオーラヴ5世はボディーガードをつけないことで知られており、後に「なぜ、警護をつけないのですか?」とマスコミに問われた時「400万人のボディガード(当時のノルウェーの人口、すなわちノルウェー国民全員)がいたからね」と誇らしく答えた。 1968年、スキー界の発展に影響を及ぼした人物としてホルメンコーレン・メダルを受章した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーラヴ5世 (ノルウェー王)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Olav V of Norway 」があります。 スポンサード リンク
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