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オールドスクール・ヒップホップ : ウィキペディア日本語版
オールドスクール・ヒップホップ

オールドスクール・ヒップホップとは、1970~1980年代のニューヨーク市で行われていたブロックパーティから登場してきた、ヒップホップ黎明期を意味する言葉。1970年代クール・ハークグランドマスター・フラッシュなどに代表される、ブレイクビーツを流すDJが登場し始める。現代、オールドスクール・ヒップホップという言葉は、BETを含むテレビ局ラジオ局などのマスメディアによって、1990年代初めよりも前のヒップホップを言及する言葉として使われている。本項では、マスメディアの用法ではなく、最初に定義した通り、より狭義なオールドスクール・ヒップホップについて記述する。
== 歴史 ==
ヒップホップの人気が高まっていくに連れ、音楽が流れている間に、マイクを取って言葉を挟む人々が登場し始める。所謂、MCと呼ばれる人々の登場である。グランドマスター・フラッシュ&フューリアスファイブのメンバーであったメリーメルは、自らMCを名乗った最初の人間である。当時、パフォーマーたちは、単調な4ビートの拍子、基本的なコーラスと共に、即興で何時間にも渡りMCを続けた。初のMC集団であったクール・ハーク&ハークロイズに続くように、全国から続々とMC集団が登場してくる。それに伴い、MCの言い回しや拍子の取り方に多様性が見られるようになり、簡潔にを踏む行為も行われ始めた。但し、その内容は性的、または猥褻なことが多かった。彼らが取り入れた韻を踏む歌詞は、アフリカ系アメリカ人の文化から取り入れたものであった。
オールドスクール・ヒップホップでは、ディスコソウルファンクなどの音源をサンプリングすることが多かった。シュガーヒル・ギャングの場合、生の演奏をサンプリングして活用した。しかしながら、すぐにオールドスクールのアーティストたちは、ドラムマシンや、人気の間奏部のサンプリング済みの素材集などを活用するようになった。このようなサンプリングされた間奏部を有効に活用するために、ミックス技術やスクラッチ技術が発達していく。スクラッチは、1977年にグランドウィザード・セオドアの手によって考案され、グランドマスター・フラッシュがレコードの中で使っている。スクラッチという技法の登場は、後のヒップホップ界におけるリミックスの隆盛に繋がっている。1985年には、マーリー・マールが登場してきたことで、エレクトロの隆盛が始まり、後のヒップホップにも大きな影響を及ぼすことになった。後に登場してくるニュースクール・ヒップホップと比べると、オールドスクール・ヒップホップで行われるラップは、韻律や抑揚の点で素朴であると言える。
オールドスクールのラップは、楽しい時間、愉快な宴、良好な友人関係に焦点を当てることが多かった。しかし、そこに1つの例外が登場する。グランドマスター・フラッシュ&フューリアスファイブのためにメリーメルが綴ったラップ曲「メッセージ」である。この曲が人気を博したことで、ヒップホップ界に「思想的なラップ」という流れが登場してくることになった。
ヒップホップのソウル・チャートでの成功への第一歩は、1979年に発表された2枚の作品によって踏み出された。ファンクのファットバック・バンドの「キング・ティム・サード」と、シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」である。ファットバックバンドの作品が最初に録音されたヒップホップ音楽であると認知されてはいるが、初めて表舞台での成功を収めたのは、シュガーヒル・ギャングの方である。ファットバックバンドも、シュガーヒル・ギャングも、それほどDJ文化に浸透していたわけではないが、「ラッパーズ・ディライト」は、ビルボード誌のシングルトップ40に入るだけのヒットを記録した。そしてその2曲に続くように、カーティス・ブロウ、コールド・クラッシュ・ブラザーズ、グランドマスター・フラッシュ&フューリアスファイブ、トリーチャラス・スリー、スプーニー・ジー、アフリカ・バンバータなどが作品を発表し、音楽界にそれなりの潮流を築いた。
1980年代に、ヒップホップは多様化を見せ始め、より複雑な型の登場が始まる。1970年代を特徴付けた単純な内容のMCは、複雑で多層的なビートに合わせ、語りかけられる隠喩的な響きの強いラップに取って代わられた。また、ラッパーの中には、大衆受けする音楽歌手になる者も登場した。スプライトCMにまで登場し、誰もが知っている製品を広告するだけの知名度を獲得した最初のヒップホップ歌手と呼ばれたカーティス・ブロウが典型的な存在である。ただし、彼は「セル・アウト(sell out)した」、言い換えれば「自分の信条を捨て売れ線に走った」アーティストとして、初めて非難を受けた歌手でもあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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