翻訳と辞書
Words near each other
・ オーレン・ペリ
・ オーレン・ムーヴァーマン
・ オーレ・アイナル・ビョルンダーレン
・ オーレ・キアク・クリスチャンセン
・ オーレ・クリスチャン・エイドハンメル
・ オーレ・クリステンセン・レーマー
・ オーレ・グンナル・フィディエステール
・ オーレ・グンナー・スールシャール
・ オーレ・シュミット
・ オーレ・ステネン
オーレ・ハレスビー
・ オーレ・ビショフ
・ オーレ・ブル
・ オーレ・ブレムセット
・ オーレ・ヤコブソン
・ オーレ・レーマー
・ オーレ・レーメル
・ オーレ・ローセン
・ オーレ・ヴェーヴァー
・ オーレー


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

オーレ・ハレスビー : ウィキペディア日本語版
オーレ・ハレスビー
オーレ・クリスティアン・ハレスビー(Ole Kristian Hallesby, 1879年8月5日 - 1961年11月22日)は、ノルウェー福音主義ルター派の教会指導者であり神学校教授である。オー・ハレスビー、ハッレスビとも表記される。
==生涯==
1879年にオスロの東南アレマルクで生まれた。両親は農家でありハウゲ運動に属するクリスチャンであった〔ハレスビー『祈りの世界』p.211〕。1920年に悔い改めと回心を体験する。1903年にオスロ大学神学部を卒業して兵役に就くが、肺結核を発病して除隊。その後、ドイツのエアランゲン大学留学して博士号を取得した。
ノルウェー国教会自由主義神学に傾倒してきた時代に、1909年よりオスロ大学神学部から独立したオスロ独立神学校組織神学の教授になった。オスロ独立神学校では世界的に著名な福音主義の神学者カール・ヴィスロフらを育てた。
第二次世界大戦中ナチス・ドイツに抵抗して1943年から終戦まで投獄された。戦後母校のオスロ独立神学校に復帰して、組織神学を教えるとともに、すぐれた説教者として、国内伝道・信徒運動で活躍し、ノルウェーのリバイバルを導いた。また、多くの著作を著し、福音主義陣営の旗頭としてスカンディナヴィア諸国のみならずアメリカにも影響を与えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「オーレ・ハレスビー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.