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カウラ事件(カウラじけん)は、第二次世界大戦時の1944年8月5日に、オーストラリア連邦ニューサウスウェールズ州カウラで起こった日本兵捕虜脱走事件。 捕虜収容所の脱走事件としては、史上最多の人数(日本人収容者数1,104名の内、545名以上)と見られる。死者数235名(オーストラリア人4名、日本人231名)、日本人負傷者数108名。 == キャンプ == カウラ第12戦争捕虜収容所(No.12 Prisoner of War Compound、正式名称:Cowra PW and I Group、Prisoners of War and Internees Group)はニューサウスウェールズ州の州都シドニーから西250kmに位置する町、カウラの中心部から北東へ3.2kmの郊外地域に位置した。第12捕虜収容所は、1947年のイタリア人・日本人本国送還まで運営された。 収容所の敷地は12角形(直径約600m)をとっており、90度角で4ブロックに分かれていた。 * Aブロック(北西):イタリア人 * Bブロック(北東):日本人(北部域にオーストラリア軍の敷地があった) * Cブロック(南東):イタリア人 * Dブロック(南西):日本人将校、台湾人、朝鮮人 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カウラ事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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