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カシマウイング は日本の競走馬。アルゼンチン共和国杯など中央競馬の長距離重賞を3勝した。 姪に1989年桜花賞馬シャダイカグラ、遠戚に重賞勝ち馬オースミコスモ・オースミブライト・ストレイトガールがいる。 ==戦歴== のちの重賞レース常連馬となるランニングフリー・マウントニゾン・メジロフルマーらと僅差の接戦を演じるも、1987年秋まで、2着に甘んじること実に14回と、勝ち味に遅いレースが続く。 主戦騎手であった的場均はこの頃より自らの判断にて拍車を使用、この効果があったのかアルゼンチン共和国杯を制し初の重賞タイトルを獲得。また飯塚好次調教師も開業16年目にして初の重賞勝利となった。 さらに有馬記念0.4秒差の6着を挟み、年が明けた1988年にはアメリカジョッキークラブカップ優勝、関西初遠征となった京都記念をトップハンデながら1番人気に応え勝利した。なお、飯塚は京都記念と同日に行われる目黒記念への出走も検討していたが、目黒記念は出走した場合は斤量は58kgだが、出走予定馬にメリーナイスがいたことと、一方で京都記念は斤量は58.5kgであるが初コースであったので、両競走を比較・検討した結果、天皇賞出走に向けて一度京都のコースを経験させるべきだと判断して京都記念の出走に踏み切った。 京都記念の勝利により、一躍春の天皇賞の有力馬に名を連ねた。しかしその本番直前の3月に脚部不安を発症し春シーズンは全休、復帰初戦となるオールカマー後に骨折のため1年以上の長期離脱と、思うようにレースを使えないまま1990年の天皇賞・春3着後に脚部不安から再び休養、同年11月に現役引退となった。 引退後は1991年より日高軽種牡馬農協門別にて種牡馬供用されたが産駒は全て中央未勝利という成績に終わり、1995年10月に用途変更のため種牡馬登録を抹消、その後の消息は不明である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カシマウイング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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