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カスティリオーニ : ウィキペディア日本語版
ニッコロ・カスティリオーニ

ニッコロ・カスティリオーニ(Niccolò Castiglioni、1932年 - 1996年)は、イタリア現代音楽作曲家
== 略歴 ==
出生後、まもなく高機能自閉症小児麻痺を抱える事が判明。両親は心配しピアノを与えたところ、どんな曲でも瞬時に記憶し(これはサヴァン症に近い)、自作の曲を書き出したことから音楽学校を紹介され入学。ピアノと作曲の両面で頭角を現し、ピアニストとしても超一流だったが、現代音楽の作曲家を希望。ジョルジョ・フェデリコ・ゲディーニボリス・ブラッハーフリードリヒ・グルダほかに師事。
UNESCO国際作曲家会議で立て続けに入賞したかと思うと、ダルムシュタット夏期講習会でピアノソロでデビュー。以後、ポストセリーと新古典が折衷したような作風で話題を集めるが、次第に逸脱し、アメリカのポップ・アートに感化された不条理音楽を次々と発表した。一例を挙げると「オルガニストと(群衆)のための戦争と愛の交響曲」では一小節ごとに全く別の音楽が次々と接合された挙句、群衆は舞台に乱入する。「マスク」は曲の無作為な展開を奏者が「反省」するため、最後に別室でハ長調の作品を演奏して「謝罪」する。「ハ調のシンフォニア」はゲネラルパウゼをルイジ・ノーノよりも先駆けて乱用し、「この作曲家は狂っている」と本気で問い詰められ作曲を一時中断。
彼が行った多くの発明は1990年代以後にはジョン・ゾーンが模倣するなど全くもって正統な現代音楽の試みの延長にあったものだったが、あまりにも先駆的な音楽は当時の聴衆を困惑させ、自身もバッシングにあった後作風を転向せざるを得なかった。もともと新古典からポストセリーの書式は完璧に身につけていたため、その書式の枠内で定期的に作品を生み出すことは可能だった。クラリネットとピアノのための「ダレト」では、スペクトル楽派の流行にも答え、反復語法を鮮やかにピアノパートに投影している。その時期に多くの弟子を育てたが、健康の悪化とともに彼に就く弟子の数も減っていった。
晩年は12音技法で作曲を行ったが、「子供用の音楽」から引用する癖は終生変わらず、誰にでも親しみやすい芸風は最後まで維持していた。1996年に闘病生活の末、没。最晩年の心境を物語る佳品に、ピアノソロのための「He」、「前奏曲、コラールとフーガ」、弦楽四重奏のための「ロマンス」がある。器楽曲で一世を風靡した印象が強いが、声楽を含む作品も定期的に書き続けていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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