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カタリナ・スレボトニク(Katarina Srebotnik, 1981年3月12日 - )は、スロベニア・スロヴェニ・グラデツ出身の女子プロテニス選手。ダブルスの得意な選手で、2011年のウィンブルドン選手権の女子ダブルスの優勝者である。混合ダブルスでも全豪オープン1勝、全仏オープン3勝、全米オープン1勝があり、通算「5勝」を挙げた。自己最高ランキングはシングルス20位、ダブルス1位。これまでにWTAツアーでシングルス4勝、ダブルス36勝を挙げている。名前の「カタリナ」(Katarina)を略した“Kata”(カタ)という愛称で呼ばれている。 == 来歴 == 1998年のウィンブルドン女子ジュニア部門で、決勝でキム・クライシュテルスを破って優勝したが、全米オープン女子ジュニア決勝ではエレナ・ドキッチに敗れる。1999年4月にポルトガル・エストリルの大会でシングルス初優勝。この後、全仏オープンの混合ダブルス部門でピート・ノーバル(南アフリカ)とペアを組んで優勝し、初めての4大大会タイトルをここで獲得した。 スレボトニクの4大大会女子シングルスでの自己最高成績は、2002年全仏オープンでの4回戦進出で、この時もドキッチに敗れている。2005年度はツアーのシングルスで年間2勝を挙げたが、1月のニュージーランド・オークランド大会の決勝戦では浅越しのぶを破り、8月のスウェーデン・ストックホルム大会の決勝戦では、ロシアのアナスタシア・ミスキナを破って優勝した。 スレボトニクはダブルスに強く、これまでに通算30勝を挙げている。そのうち、日本の浅越しのぶとペアを組んで獲得したタイトルが3つあった。浅越とスレボトニクは、2004年のジャパン・オープン、2005年1月のオークランド大会、2006年4月の「ボシュロム選手権」で優勝している。オークランドでは、スレボトニクと浅越はシングルス決勝を戦い、ダブルスではコンビを組んで優勝した。2005年の全豪オープンから、スレボトニクと浅越は4大大会の女子ダブルスでもペアを組むようになった。同年の全仏オープンで準々決勝に進出した後、2006年全豪オープンで初の準決勝進出を決めたが、中国ペアの晏紫&鄭潔組に 2-6, 6-7 で敗れた。2人は2006年ウィンブルドンまでペアを組み続けたが、浅越が現役引退を表明する。 浅越の引退後、スレボトニクはディナラ・サフィナとペアを組み、全米オープンで初めての4大大会女子ダブルス決勝進出を果たした。サフィナとスレボトニクは、決勝でベラ・ズボナレワ(ロシア)&ナタリー・ドシー(フランス)組に 6-7, 5-7 で敗れて準優勝になった。しかし、スレボトニクは短期間でサフィナとのペアを解消し、2007年春から日本の杉山愛と組むようになる。2007年全仏オープンとウィンブルドンで、スレボトニクと杉山は2大会連続で決勝に進出したが、全仏はアリシア・モリク(オーストラリア)&マラ・サンタンジェロ(イタリア)組に 6-7, 4-6 で敗れ、ウィンブルドンはリーゼル・フーバー(南アフリカ)&カーラ・ブラック(ジンバブエ)組に 6-3, 3-6, 2-6 で敗れ、ともに準優勝となった。このペアは2007年度の女子ツアー年間最終戦・WTAツアー選手権のダブルスでも、フーバー&ブラック組に敗れた準優勝がある。 カタリナ・スレボトニクは混合ダブルスで、1999年全仏オープン・2003年全米オープン・2006年全仏オープン・2010年全仏オープン・2011年全豪オープンの5度優勝がある。ピート・ノーバル(南アフリカ)と組んだ最初の優勝から4年後、スレボトニクは2003年全米オープンでボブ・ブライアン(アメリカ)とペアを組み、決勝でダニエル・ネスター(カナダ)&リナ・クラスノルツカヤ(ロシア)組を 5-7, 7-5, 7-6 (最終第3セットはタイブレークによる)で破り、2つ目の混合ダブルス優勝を果たした。2006年全仏オープンでは、パートナーはネナド・ジモニッチ(セルビア)と組み、ネスターとエレーナ・リホフツェワ(ロシア)組を 6-3, 6-4 で下した。2010年全仏オープンでもジモニッチと組み、ユリアン・ノール(オーストリア)&ヤロスラワ・シュウェドワ(カザフスタン)組を 4-6, 7-6, 11-9 (最終第3セットはスーパータイブレークによる)で破り4勝目を挙げた。2011年全豪オープンではダニエル・ネスターと組み、ポール・ハンリー&詹詠然組に 6-3, 3-6, で勝利し5勝目を挙げた。 2011年ウィンブルドン選手権ではクベタ・ペシュケと組み4大大会女子ダブルス5度目の決勝に進出。決勝ではザビーネ・リシキ&サマンサ・ストーサー組に 6-3, 6-1 で快勝し、4大大会女子ダブルス初優勝を果たした。大会後のランキングでスレボトニクはペシュケと並んで初めてのダブルスランキング1位になった。 スレボトニクは2010年限りでシングルスから撤退、活動をダブルスのみに絞っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「カタリナ・スレボトニク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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