翻訳と辞書
Words near each other
・ カタリナ・ウォーターズ
・ カタリナ・ゲルボルト
・ カタリナ・スカイサーベイ
・ カタリナ・スカイ・サーベイ
・ カタリナ・スカイ・サーヴェイ
・ カタリナ・スレボトニク
・ カタリナ・ツィエンテク
・ カタリナ・デ・アウストリア
・ カタリナ・デ・エラウソ
・ カタリナ・デ・ポルトゥガル
カタリナ・デ・ランカステル
・ カタリナ・バルン
・ カタリナ・ビット
・ カタリナ・フォン・ボラ
・ カタリナ・ヘッカー
・ カタリナ・ペイス
・ カタリナ・ミュラー
・ カタリナ・ラブレ
・ カタリナ・リンデン
・ カタリナ・リンドクイスト


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

カタリナ・デ・ランカステル : ウィキペディア日本語版
カタリナ・デ・ランカステル

カタリナ・デ・ランカステル(Catalina de Lancáster, 1373年3月31日 - 1418年6月2日)は、カスティーリャ王エンリケ3世の王妃。
英語名キャサリン・プランタジネット(Catharine Plantagenet)またはキャサリン・オブ・ランカスター(Katherine of Lancaster)。
==生涯==
イングランドのランカスター公ジョン・オブ・ゴーントと、2度目の妻コンスタンス・オブ・カスティル(スペイン名:コンスタンサ・デ・カスティーリャ)の長女として、ハートフォードで生まれた。母はカスティーリャ王ペドロ1世の次女であり、父が庶兄エンリケ2世に謀殺された後、「カスティーリャ女王コンスタンサ」を名乗り、自身の王位継承権を主張していた。
その後、フアン1世とイングランドが結んだバイヨンヌ条約により、コンスタンスとジョンはカスティーリャ王位請求権を放棄し、代わりに賠償金と領地を受け取った。そして、正当な王位継承者であるカタリナを、庶出の(簒奪者の)トラスタマラ家に嫁がせることで、両者の争いを終結させた。また、同時期に父ジョンは隣国ポルトガルと同盟関係を締結させ、カタリナの異母姉フィリッパジョアン1世に嫁がせた。
1393年に、ブルゴスアストゥリアス公エンリケと結婚し、3子をもうけた。
*マリア(1401年 - 1458年) 従兄にあたるアラゴンアルフォンソ5世と結婚
*カタリナ(1403年 - 1439年) アルフォンソ5世の弟で従兄にあたるビリェーナ伯エンリケと結婚
*フアン(1405年 - 1454年) のちのフアン2世
カタリナは夫の死後、幼いフアン2世の摂政をエンリケ3世の弟フェルナンド・デ・アンテケラ(後のアラゴン王フェルナンド1世)とともに務めた。1418年、カタリナはバリャドリッドで死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カタリナ・デ・ランカステル」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.